■中谷山妙本寺(保田妙本寺)1(松本勝弥・万年講事件)

 

1995(平成7)年に再び日蓮正宗から離脱独立して単立になった保田妙本寺と末寺2ヶ寺

 

東京駅からJR内房線の特急さざなみ号に乗り、JR保田駅で下車。国道を2キロほど道沿いに南下。JR内房線の妙本寺踏切をわたると、すぐに大本山妙本寺の山門がある。

もともとこの寺院は、日興の弟子・新六僧の一人である日郷を開祖とした日郷門流の寺院で、日興門流(富士門流)八本山のひとつであるが、1957(昭和32)4月、50代貫首・富士日照氏のときに旧末寺4ケ寺とともに、日蓮宗を離れ、日蓮正宗に合同した。

その後、51代貫首・鎌倉日桜氏の代になり、松本勝弥氏の正本堂供養金返還訴訟、万年講問題を経て、1995(平成7)年、再び日蓮正宗から独立して、単立の寺院になった。日蓮正宗の時には、「日蓮正宗本山妙本寺」という看板を出し、中谷山妙本寺と名乗っていたが、独立後は「大本山妙本寺」という看板を出している。

この保田妙本寺という寺院は、切り立った山肌の斜面を開拓したような土地になっていて、境内地には客殿、御影堂と二つの大きな堂宇が建っている。一角には宝物庫もある。背後の山の斜面や谷間の上のほうには、墓地が造成されている。墓地に入ってみると「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」と書かれた墓石も見られる。建物には鶴丸の紋が見える。これは日蓮正宗の紋かと思っていたら、そうではなく、日興門流の紋ということらしい。

保田妙本寺は、日郷が開創して以来、660年の歳月が経っているが、境内地の建物は、どれもこれも、長年の風雨に耐えた跡がよく見えるものばかり。それだけ、歴史を感じさせてくれる。

保田妙本寺では毎年1015日に、宝物のお風入れ、虫払い法要が行われる。日蓮真筆の万年救護本尊や日興、日目、日郷の本尊、古文書などを拝観することができる。妙本寺には開創以来の膨大な量の古文書が眠っており、千葉県史の研究家、学者も、妙本寺文書の研究をつづけている。そういった関係から、1015日の虫払い法要には、保田妙本寺の信者以外の研究家、学者たちが多数、妙本寺を訪れるという。保田妙本寺の古文書・重宝類の調査・研究を手がけている学者の一人が、千葉大学大学院人文社会科学研究科教授・文学博士の佐藤博信氏である。

保田妙本寺は、長く51代貫首・鎌倉日桜氏(19082009)が貫首職を務めていたが、鎌倉日桜貫首の晩年は対外的な応対は息子の鎌倉日誠氏が代行していた。鎌倉日桜氏は2009年に101才で死去。現在は52代貫首・鎌倉日誠氏の代になっている。

 

 

1970(昭和45)1972(昭和47)年に松本勝弥・万年講事件の舞台になった保田妙本寺

 

保田妙本寺という寺院は。開創660年になる日郷門流の古刹寺院ということもあるが、私にとって保田妙本寺というところは、むしろ1970(昭和45)1972(昭和47)年にかけて、松本勝弥氏・万年講事件の舞台になった寺院というイメージが強い。

この松本勝弥氏の事件とは、1970(昭和45)年ころ、ちょうど創価学会が言論出版妨害事件で世間から批判の集中砲火を浴びていたころ、民音職員で創価学会幹部であった松本勝弥氏夫妻が、突如として池田大作・創価学会に造反。松本勝弥氏は「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐であるから、正本堂の供養金を返還せよ」と主張し、正本堂供養金返還訴訟を裁判所に提起した。

この松本勝弥氏と松本勝弥氏を支持するグループに、言論出版妨害事件で創価学会から脱会した人たちが合流し、「創価学会対策連盟」(創対連)という団体を旗揚げ。

さらに松本勝弥氏らのグループは、保田妙本寺の反大石寺派の檀家を巻き込んで「万年講」という講中を立ち上げ、保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏を抱き込んで、保田妙本寺を日蓮正宗から独立させ、保田妙本寺を「反大石寺・反創価学会」の拠点にしようとする運動をはじめた。

これに日蓮正宗大石寺・創価学会が神経をとがらせ、松本勝弥氏らを日蓮正宗信徒・創価学会会員から除名して対抗。創価学会は、顧問弁護士・山崎正友氏をリーダーとする「山崎師団」が、全力で「松本潰し」の謀略活動を展開し、保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏と松本勝弥氏らの反日蓮正宗・反創価学会グループの分断をはかった。

山崎正友氏の内部告発書「盗聴教団」によれば、山崎師団は、盗聴などありとあらゆる手段を使って、妙本寺貫首・鎌倉日桜氏と松本勝弥氏らを監視しながら圧力をかけつづけ、最後はカネで「創対連」を解散、松本勝弥氏らを保田妙本寺から撤退させ、最後は池田大作自ら妙本寺に乗り込んで、保田妙本寺貫首・鎌倉日桜氏に独立をあきらめさせたと書いている。

私は、山崎正友氏、松本勝弥氏、双方の告発本をすでに読んでいたので、この保田妙本寺の地をはじめて踏んだ時、何とも言えない気持ちになった。万年講事件の時、池田大作、鎌倉日桜、松本勝弥、山崎正友の各氏は、あの時、何を考え、何を思ったのだろうか。保田妙本寺から撤退した松本勝弥氏は、その後、同じ富士門流・西山本門寺系の僧侶となって、松本修明と名乗り、大津蓮華寺の住職になっている。

鎌倉日桜氏は、万年講事件の時は日蓮正宗からの独立をあきらめたが、その後も独立を企図していたようで、日蓮正宗大石寺と創価学会が離反した後、1995(平成7)年、自らが住職を務める保田妙本寺、遠本寺、顕徳寺の三ケ寺を日蓮正宗から離脱・独立させた。

山崎正友氏は、1980(昭和55)年の正信会事件の時は一旦は日蓮正宗大石寺から離れたが、池田大作・創価学会の破門によって、1995(平成7)年、自らが日蓮正宗に復帰している。

振り返って見ると、最後は、松本勝弥氏、鎌倉日桜氏、山崎正友氏ともに、それぞれが抱いていた願望を果たしたという感じがしないでもない。

池田大作は、松本勝弥氏をはじめ、妙信講、正信会を「法主に逆らった」という理由で日蓮正宗から追放しようと企図して成功させたが、その池田大作自身が1992(平成4)年に「法主に逆らった」という理由で自らが日蓮正宗から「破門」になったというのは、歴史の皮肉だろうか。

保田妙本寺1