■中谷山妙本寺(保田妙本寺)2(鎌倉日桜貫首と檀徒の会話を電話盗聴)

 

□保田妙本寺51代鎌倉日桜貫首と檀徒の会話を電話盗聴していた創価学会・山崎師団

 

1970(昭和45)1972(昭和47)年にかけて、松本勝弥氏は「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐であるから、正本堂の供養金を返還せよ」と主張し、正本堂供養金返還訴訟を裁判所に提起。保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏を抱き込んで、保田妙本寺を日蓮正宗から独立させ、保田妙本寺を「反大石寺・反創価学会」の拠点にしようとする運動をはじめた。

これに日蓮正宗大石寺・創価学会が神経をとがらせ、松本勝弥氏らを日蓮正宗信徒・創価学会会員から除名して対抗。創価学会は、顧問弁護士・山崎正友氏をリーダーとする「山崎師団」が、全力で「松本潰し」の謀略活動を展開し、保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏と松本勝弥氏らの反日蓮正宗・反創価学会グループの分断をはかった。このあたりの創価学会側の経緯を、当時の「山崎師団」を率いていた山崎正友氏が、著書「盗聴教団」の中で次のように告発している。

「昭和47(1972)10月、正本堂落慶法要終了直後、松本勝弥氏らの、いわゆる“蓮悟空事件”がおこった。“蓮悟空”というペンネームで、生々しい内部告発書が出版され、同時に“正本堂御供養金返還訴訟”が提起された。これと関連して、保田妙本寺(千葉県)という寺院が、檀徒をつのって日蓮正宗より離脱しようとする動きを見せた。その背後に、他宗派の扇動や脱退者の動きが見られた。さらに、昭和45(1970)以来、反学会運動をつづけてきた“創対連”(創価学会対策連盟)が、好機到来とばかり、やはり、全国的に“御供養金返還運動”を起こすべく、積極的な運動に乗り出した。…

保田妙本寺には、昭和48(1973)ごろから、数ヶ月間、門前の栄光建設株式会社(学会外郭企業)の飯場の二階の一室をアジトとし、電話盗聴、発信器による盗聴、見張り、追跡などを行った。飯場を借りることは、北条副会長(※北条浩四代会長・当時は副会長)が手を打ってくれた。そこに竹岡、北条の両名が盗聴器と録音機材とともに自炊道具を持ち込み、住み込んでことに当たった。電話盗聴は、宮本顕治宅とまったく同じ手口を用いた。すなわち、門前の電柱にある端子取り付け器に発信機を取り付けた。盗聴した内容は、まとめてカセットテープにダビングされ、私のもとに送られるが、重要な内容のときは、ただちに電話で直接、私のところに送られた。

このときは、失敗はなかった。盗聴され、録音された内容は、住職(※保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏のこと)と松本勝弥氏夫人の会話、その他、反学会的人物で、妙本寺(※保田妙本寺)に集まっていた人物との会話など、多岐にわたった。住職(※保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏)が北条副会長や私たちと会い、懐柔工作に応じるむね返事をして帰った後の会話などは、特に興味深かった」(山崎正友氏の著書『盗聴教団』p5354)

盗聴教団1 

((山崎正友氏の著書『盗聴教団』)

 

 

「『日郷上人(保田妙本寺開山)以来、辛抱してきたんだ。いまはまだ早い。十年、二十年、先を見ながら、皆、辛抱してくれ。学会といまことをかまえると、何をされるか、わかったものではない』

このように電話で住職(※保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏)が檀徒を説得している内容が盗聴録音されているのを聞いて、私たちは、事成れりと、ほくそ笑んだ。前日、(創価学会側から保田妙本寺・鎌倉日桜貫首に)『これだけ誠意をつくしているのに、裏切ったり、二枚舌を使い分けたりしたら、私たちは怒りますよ。キチガイが寺を焼くことだってある』などと、最後通告をつきつけた効果があったわけである。そのあと、池田大作氏みずから機会をつくって(保田妙本寺に)乗り込み、(保田)妙本寺奪回作戦は完了した」(山崎正友氏の著書『盗聴教団』p5354)

 

つまり1972年当時、保田妙本寺51代鎌倉日桜貫首は、反創価学会系檀徒といっしょになって日蓮正宗からの離脱を企図していたのだったが、創価学会はこれを阻止しようと、当時、創価学会顧問弁護士だった山崎正友氏率いる山崎師団を使って、モーレツな謀略工作を行った。

創価学会はすでに昭和45(1970)初頭からの、いわゆる「言論出版妨害事件」によって、マスコミ・世間から袋だたき的な批判を浴び、国会では社会党・共産党が主導して池田大作会長・国会証人喚問要求が突きつけられた。この創価学会批判によって、数多くの創価学会員が創価学会を脱会し、反創価学会活動を行っていた。その中のひとつが、「創価学会対策連盟」(創対連)である。松本勝弥氏“蓮悟空”グループと「創価学会対策連盟」(創対連)が合流。「「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺の『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐である」との新しい教義を立てて、保田妙本寺の反大石寺・反創価学会系檀徒を抱き込み、保田妙本寺を日蓮正宗から独立させれば、冨士門流八本山のひとつである保田妙本寺は、「反大石寺・反創価学会」の拠点になる。そうなれば、言論問題で創価学会を脱会した信者がつづいていた上に、さらなる脱会信者がつづく恐れ有り、ということで、創価学会は何としても保田妙本寺の日蓮正宗離脱を阻止し、松本勝弥氏“蓮悟空”グループや「創価学会対策連盟」(創対連)グループを潰す必要があった。そのために創価学会は山崎師団を使って、電話盗聴まで行っていた。創価学会・山崎師団は、保田妙本寺・松本勝弥グループのみならず、日本共産党・宮本顕治委員長宅、日蓮正宗大石寺、日蓮正宗妙信講、日蓮正宗妙縁寺、立正佼成会等に対して電話盗聴を行っていたことが明らかになっている。

さて保田妙本寺の反大石寺・反創価学会系檀徒であるが、千葉県君津市本顕寺・佐野縁道氏の寄稿文によれば、昭和32(1957)の日蓮正宗合同の時、日伝開山の大行寺等の反対や最後まで大石寺との合同に強行に反対した檀徒が、竹槍を持って保田妙本寺に押しかけた事件もあったという。(平成7915日付け『継命』p5より)ということは、鎌倉日桜氏と日蓮正宗離脱をょ企図した檀徒とは、昭和32(1957)の日蓮正宗合同の時に最後まで反対した檀徒の一派だと考えられる。

保田妙本寺1