□巨大な経済力を有していた権力者・大寺院のみが成し得た装飾経の代表例「平家納経」

 

東京・上野の東京国立博物館特別展「和様の書」で、「平家納経」「御堂関白記」などを見学してきました。これは713日からずっとつづいていた特別展なのですが、最終日の98日、まさに滑り込みセーフで見学。上野公園の東京国立博物館に行ったのも、久しぶりでした。

東京国立博1 














(東京・上野の東京国立博物館特別展「和様の書」)

この展示は、85件の国宝・重要文化財をはじめ156件の展示で「和様の書」を紹介する特別展。主催は東京国立博物館、読売新聞社、NHKNHKプロモーション。後援は文化庁。

ここに出展された展示の数々は、まさに豪華絢爛で、平安時代の三跡、四大手鑑、三色紙などの名宝の他、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの天下人の書、屏風、蒔絵などの美術工芸品からユネスコの世界記憶遺産に登録された藤原道長の日記「御堂関白記」などなど。平安時代の摂関政治の頂点を極めた藤原道長の自筆日記・国宝「御堂関白記」は、はじめて実見しました。

私が見学に行った日が特別展の最終日で、しかも日曜日ということもあり、ものすごい数の見学者で、展示前はくろだかりの人が立ち止まったままで見学しているため、なかなか思うように見学ができない。こういうのは、数年前に奈良国立博物館の「正倉院展」の見学に行ったときもそうでした。「正倉院展」のものすごい数の見学者にも、驚きました。

私が今回の特別展「和様の書」で見学したかったのは、いわゆる「装飾経」。竹生島経、浅草寺経、久能寺経などさまざまな装飾経が出展されていましたが、最大の目玉展示は国宝「平家納経」である。装飾経とは、仏教で使用される経典のうち、料紙に美麗な装飾を施した経典のこと。紫、紺などの染紙を用い、金銀泥で経文を書写したもの、料紙に金銀泥などで下絵を描き、金銀の箔を散らした上に書写したもの等々があり、一般的に日本の平安時代に権力者や貴族などの発願によって制作された美麗な経典を指す。平安時代には、紺色の紙に金泥で経文を書写する紺紙金字経が数多く制作された。

「装飾経」そのものは、けっこう全国各所で見学してきました。日本で最初の紺紙金字一切経は、白河法皇(10531129)が制作させたものだと言われている。平泉の奥州藤原氏初代清衡が、平和のために発願し、1126年に完成させた紺紙金銀字交書一切経、いわゆる中尊寺経は有名で、紺紙金銀字一切経は約5300巻あり、。そのうち中尊寺には15巻があり、その一部の複製を讃衡蔵で公開している。残りの大半は高野山金剛峯寺が所蔵する。

東北歴史博物館にも、奥州・藤原氏が制作させた紺紙金泥法華経が展示されている。東北歴史博物館の展示説明文によれば「(奥州・藤原氏は、平泉の)中尊寺や毛越寺などに都(京都)の流行を採り入れ、多大な財力を注いでいる。中には、工芸技術の枠を集めた中尊寺金色堂や紺色(こんいろ)の用紙に金字と銀字で書き写した一切経(紺紙金泥のお経)など、都にさえ見られないものがあった」とあり、当時まだ、紺紙金泥のお経は京都にもなかったと書いてある。

 

 

装飾経といえば、2012年に神奈川県横浜市の金沢文庫で行われた特別展「法華経の世界」でも、紺紙金字法華経が出展されている。

「平家納経」とは、平清盛が平家の繁栄を祈って発願し、平家一門が結縁して長寛2(1164)に広島・厳島神社に奉納した装飾経。「平家納経」は全33巻が広島・厳島神社に現存収蔵されていて国宝に指定されている。今回、東京国立博物館特別展「和様の書」に出品されたのは、そのうちの法師品、見宝塔品、安楽行品、如来寿量品の4巻。この4巻は展示期間中に展示替えで交替で展示され、私が見学に行った日は如来寿量品第十六が展示されていました。展示をよく見てみると、経文の「爾時仏告諸菩薩…」の「爾」の文字が「尒」の略文字になっていました。

「平家納経」の特色は、何と言ってもその装飾。ど派手な装飾に彩られており、私も紺紙金字法華経とか紺紙金泥法華経とかいろいろ見学しましたが、「平家納経」が最も派手な装飾経のように思う。「平家納経」の料紙には、表も裏(紙背)も金銀の切箔がふんだんに撒かれ、雲母摺りや葦手などの装飾が施されている。見返しには、平安時代の貴族などが描かれている。

平安時代の後期になると、読誦、書写、受持する功徳や女人成仏などを説く法華経を中心に、その「功徳の効果を一層高めるために」美を極めた装飾経が競って書写された。末法思想が広まる中で極楽往生への切なる願いを美しい文字と料紙に込めたと言われる。

平安時代10世紀後半~11世紀はじめころに書写・成立したと伝承され、琵琶湖の竹生島の宝厳寺に蔵される「竹生島経」と呼ばれる法華経。これも金銀泥にて下絵が描かれている装飾経。

平安時代11世紀に書写・成立したと伝承され、東京・浅草寺に蔵される「浅草寺経」とよばれる装飾経は、法華経と開結二経を完備する法華経の装飾経。

静岡県静岡市の久能山にある久能寺(現在は、鉄舟寺)に伝わった装飾経である「久能寺経」。平安時代に流行した『法華経』全30巻を30人の結縁者が一巻ずつ作成する結縁一品経の一つ。鳥羽法皇の皇后・待賢門院(藤原璋子)や女御、女房らが結縁者であった。

こうして見ると、平泉の中尊寺、宇治の平等院、紺紙金銀字一切経、紺紙金字法華経、「平家納経」、「竹生島経」、「浅草寺経」、「久能寺経」等々、金泥、金箔、金文字など「金」をあしらった装飾を施す仏教建築、仏教美術等を制作できたのは、天皇、皇族、貴族、公家、権力者や官寺などの大寺院のみである。平安時代はまだ仏教そのものが一般庶民に流布しておらず、写経どころか仏教に帰依していたのは天皇、皇族、貴族、公家、権力者などの上流階級のみ。その中でも、こういう装飾経を制作できるのは、巨大な経済力を有していた権力者・大寺院のみが成し得たということは当然である。「平家納経」を制作した平清盛は権力者。「久能寺経」の結縁者は鳥羽法皇の皇后・待賢門院(藤原璋子)や女御、女房。「竹生島経」の宝厳寺、「浅草寺経」の浅草寺は比叡山延暦寺末の天台宗だった。下記の「平家納経」は、201374日付け「読売新聞」に掲載された「平家納経」の写真である。

平家納経1 

(201374日付け「読売新聞」に掲載された「平家納経」如来寿量品第十六)