■中谷山妙本寺(保田妙本寺)3(保田妙本寺・松本勝弥グループ潰しの謀略戦争1)

 

□創価学会・山崎師団による保田妙本寺・松本勝弥グループ潰しの『謀略戦争』の顛末1

 

元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏が池田大作に反旗を翻した後に執筆した告発本「闇の帝王・池田大作をあばく」の中で、1972(昭和47)当時、「山崎師団」が全力で「松本潰し」の謀略活動を展開した具体的な内容について、詳しく執筆している。

「ショッキングな学会批判書

昭和47(1972)10月、“蓮悟空”なるペンネームで、『変質した創価学会』という題名の学会批判書が出版された。調査の結果、筆者は、ルポライターのI氏とわかったが、情報提供者は当時民音職員であった松本勝弥氏夫妻、東洋物産社員梶谷氏、それに聖教新聞記者数名であると確認できた。創価学会にとっては、大幹部で、本部職員でもある人たちの、まことにショッキングな、造反であり、内部告発であった。引きつづいて、松本勝弥氏らは集団で、“正本堂御供養金返還訴訟”を提起した。公然と反旗を翻したわけである。この松本勝弥氏夫妻は、(日蓮正宗)総本山大石寺の戒壇の大御本尊はにせものであり、保田妙本寺の“万年救護の御本尊”こそ、ほんものである、という信仰上の立場をとり、創価学会にとっては、まさに異端であった。(松本勝弥氏の)夫人のほうは、すでに1年前に創価学会を退会している。創価学会の中枢である本部の職員(民音など、外郭団体も本部職員と考えられており、本社や事務所にはそれぞれ仏間があり、池田専用室があり、朝礼のときは、池田大作の指導が伝えられ、信仰の指導が行われていた)が、宗教上、異端をとなえていて、なおかつ、職場に居座っていられるものか。それを許していて良いものか。少なくとも、本部全体の士気に重大な影響を及ぼし、かつ会員に不信と動揺を与えることだけは事実だった。とにかく

『学会の内情をすっぱ抜く男を本部職員で置いていたら何をされるかわからない。信心指導もできない』というのが本部側の悩みなら、

『民音といっても、我々(創価学会員)が御供養の精神で歌謡ショウなどの券を買って支えている。その金で、謗法の人間を養って良いのか』というのが、学会員の不満だった。結局、何としてでも(松本勝弥氏を民音から)追い出そうということになった。その作戦と行動すべてについて私(※山崎正友氏)が指揮をとった。松本氏の側は、これを見越して、何とか居座って内部攪乱をしようとの作戦に来た」(山崎正友氏の著書『闇の帝王・池田大作をあばく』p186188)

 

松本勝弥氏は「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐であるから、正本堂の供養金を返還せよ」と主張し、正本堂供養金返還訴訟を裁判所に提起。保田妙本寺51代貫首・鎌倉日桜氏を抱き込んで、保田妙本寺を日蓮正宗から独立させ、保田妙本寺を「反大石寺・反創価学会」の拠点にしようとした。

松本勝弥告発1 

(山崎正友氏の著書『闇の帝王・池田大作をあばく』)

 






 

□保田妙本寺歴代貫首で『万年救護本尊・日蓮出世の本懐説』を唱えた人物は一人もいない

 

まずポイントの第一は、松本勝弥氏が打ち立てた「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐である」という「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」である。大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮真造ではなく大石寺9世日有が偽作した板本尊であるが、こんなふうに松本勝弥氏がかつて唱えた法義を書くと、「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」は保田妙本寺の歴代貫首が唱えてきた680年来の伝統法義であるかのように聞こえてしまうのだが、これが全く違う。保田妙本寺の歴代貫首で『万年救護本尊・日蓮出世の本懐説』を唱えた人物は一人もいないのである。だから「大石寺の『戒壇の大本尊』はニセ物であり、保田妙本寺に格蔵されている『万年救護本尊』が日蓮の出世の本懐である」という「万年救護の大本尊・日蓮本懐説」は、保田妙本寺の伝統法義でも何でもない、松本勝弥氏のグループが大石寺・創価学会に対抗するために“発明”した新義である。

保田妙本寺は、もともと大石寺蓮蔵坊の所有権を巡って日郷が大石寺4世日道と対立して大石寺を退出して保田妙本寺を開創したことにはじまる。蓮蔵坊紛争は大石寺は5世日行、6世日時、保田妙本寺は日郷ののちは後継貫首の日伝に引き継がれ、1405年になってようやく解決する。

ところが室町時代の中頃、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を偽作したあたりから、保田妙本寺の貫首は、大石寺の日有偽作教義のお追従をはじめる。

保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要が、大石寺9世日有から聞いていた説法を、弟子たちに語っていた内容を日果という僧侶が筆録した「新池抄聞書」という文書に、

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂…此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84に掲載している「新池抄聞書」)

と、大石寺9世日有が説く『事の戒壇』を書きとどめている。これに対して大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作を批判していた北山本門寺6代日浄は、保田妙本寺の貫首の日有偽作教義へのお追従を批判して

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」(「大石寺誑惑顕本書」p6p7)
と、保田妙本寺・小泉久遠寺貫首を厳しく批判している。

保田妙本寺1