■比叡山延暦寺8(「千日回峰」2度の酒井雄哉師が遷化)

 

□記録が残る織田信長の焼き打ち(1571年)以降で3人目だった「千日回峰」2度目の達成

 

924日、天台宗大阿闍梨・酒井雄哉師遷化のニュースが流れた。読売新聞ニュースとmixiニュースから引用してみたい。

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「千日回峰」2度…大阿闍梨、酒井雄哉師が死去

天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)に伝わる荒行「千日回峰(せんにちかいほう)」を2度達成した大阿闍梨(だいあじゃり)、酒井雄哉(さかい・ゆうさい)師が23日、歯肉がんで死去した。87歳。 延暦寺一山(いっさん)葬は27日午後0時30分、大津市坂本6の1の17生源寺(しょうげんじ)。喪主は弟子の藤波源信・大阿闍梨。自坊は同市坂本本町4239、延暦寺一山長寿院。

大阪市生まれ。39歳で得度した。54歳だった1980年には、地球1周にあたる約4万キロを7年かけて歩き、このうち9日間は不眠・断食で真言を唱え続ける荒行「千日回峰」を達成。記録の残る織田信長による比叡山焼き打ち(1571年)以降では、最高齢で「大阿闍梨」となった。60歳の87年には2度目も満行。3人目の快挙で、生き仏とたたえられた。

20139240309  読売新聞)

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<訃報>酒井雄哉さん87歳=大阿闍梨、千日回峰行2回

比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度達成した天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(さかい・ゆうさい)さんが23日、心不全のため死去した。87歳だった。通夜は26日午後6時、葬儀は延暦寺一山葬として27日午後0時半、大津市坂本6の1の17の生源寺(しょうげんじ)。葬儀委員長は山本光賢(こうけん)延暦寺副執行(しぎょう)財務部長。自坊は大津市坂本本町4239の飯室不動堂長寿院。喪主は弟子の藤波源信(ふじなみ・げんしん)大阿闍梨。

1926年、大阪市生まれ。旧制中学を卒業後、鹿児島県で特攻隊員として終戦を迎えた。戦後は職を転々としたが、結婚2カ月の妻が自殺したことなどをきっかけに39歳で得度した。73年に90日間、堂にこもって念仏を唱えながら堂内を歩き続ける「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」を達成した。80年10月には、比叡山中など計約4万キロのコースを7年かけて徒歩で順拝し、このうち9日間は不眠、断食などをする「千日回峰行」を達成。その半年後には2度目の挑戦を開始し、87年7月、60歳で満行した。千日回峰行は比叡山に伝わる修行で、これまで計50人が達成しているが、2度目の達成は、記録が残る織田信長の焼き打ち(1571年)以降で3人目だった。

90年に15年ぶりに下山し、講演活動などを通じて社会問題にも積極的に発言。自身が修行で体験した人間の極限状況を基に、教育問題や日本人の心のあり方を論じ、多くの人々の共感を呼んだ。 著書に「生き抜く力をもらう」(共著)「がんばらなくていいんだよ」などがある。

(20130924 13:20 毎日新聞・mixiニュース)

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比叡山の荒行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度達成したということが、大きく乗っていますが、それでは比叡山延暦寺の千日回峰行とは、どんな修行なのか。天台宗の公式ウエブサイトによれば、下記のような修行である。

「相応和尚により開創された回峰行は、文字どおり、比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行です。この行は法華経中の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものともいわれます。常不軽菩薩は、出会う人々すべての仏性を礼拝されました。回峰行はこの精神を受け継ぎ、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝するものです。回峰行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、生死を離れた白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をしています。生身の不動明王の表現とも、また、行が半ばで挫折するときは自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれます。

千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます。6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。」

酒井雄哉師は、39才の年齢で出家しながら、この千日回峰行を二度達成。しかも二度目の達成が、何と60才という高齢での達成という。しかも千日回峰行を二度達成した人は、記録が残る織田信長の焼き打ち(1571年)以降で3人しかいないというから、まさに神業か、スーパーマンのような人に思えてしまう。まさに歴史に残る人物、高僧ということですね。

比叡山の千日回峰行とは、中山法華経寺の百日大荒行、福井永平寺の雲水の修行等々と並び称されるくらいに、日本でも指折りの厳しい修行として有名である。比叡山には千日回峰行の他に、浄土院・十二年籠山行、常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧の四種三昧行といった厳しい修行がある。

どこの宗派でも、通常は子どものころに出家得度するのが通例であろうが、39才で出家なされて、千日回峰行を二度達成の遺業は、ただただ、すごいという他に言葉が見つからない。長い間の御修行、お疲れ様でした。謹んで哀悼の意を示し, ご冥福をお祈りしたい.

根本中堂2





















 

(今の比叡山延暦寺・根本中堂)


根本中堂4 

(今の比叡山延暦寺)