■倶利伽羅不動寺3(平等院鳳凰堂の造りによく似ている西之坊鳳凰殿)

 

□京都宇治・平等院鳳凰堂の造りによく似ている倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿

 

倶利伽羅不動尊は、誰が、どのような縁由で、開山したのか。これも津幡町の公式ウエブサイトにわかりやすく載っているので、こちらを引用してみたい。

「石川県と富山県にまたがる歴史国道「北陸道」が走る倶利伽羅峠には、約1300年の歴史を持つ倶利迦羅不動寺(山頂本堂)があります。成田不動尊(千葉県)、大山不動尊(神奈川県)と並び、日本三不動尊の一つとして知られ、縁日の28日には県内外から多数の参詣者が訪れます。地名にもなっている「倶利迦羅」は、「剣に黒い龍の巻きついた不動尊像」という意味のインドのサンスクリット語に由来します。倶利迦羅不動寺の創建は、718(養老2)年に元正天皇の勅願により、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)法師が倶利迦羅不動明王の姿をそのまま彫刻し、奉安したのが始まりと伝えられています。この本尊が安置された奥之院は3年に1度開扉され、大法要が営まれます。それから約100年後の812(弘仁3)年に、弘法大師(こうぼうだいし)が諸国を巡る途中で、不動明王を拝まれ、あまりの有難さに扉を閉めると、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として安置されました。この時、別当寺(べっとうじ)として長楽寺(ちょらくじ)が開山されたといわれています。その後、不動信仰の長楽寺と「手向(たむけ)の神」を祀(まつ)る手向神社が習合していったと考えられます。この「御前立不動尊」は現在、本堂に安置されています。1183(寿永2)年の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い、多くのお堂や寺宝、記録などが焼失しましたが、その後、源頼朝によって再興されました。戦国時代の天正年間(15731592年)には衰退し、廃寺同然となりましたが、江戸時代の寛永年間(16241644年)に秀雅上人(しゅうがしょうにん)が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛しました。

江戸末期の1836(天保7)年に門前の茶屋から出火し、山門や不動堂が焼失しました。再建されないまま明治維新を迎え、1899(明治2)年に明治政府の神仏分離令によって、長楽寺は廃され、手向(たむけ)神社となりました。その当時の仏像類は金沢市の宝集寺、小矢部市の医王院、津幡町倉見の専修庵などに譲渡されました。廃寺から50年後の1949(昭和24)年に、高野山の金山穆韶大僧正の尽力により、長楽寺跡に堂宇が再建され、倶利迦羅不動寺として復興されました。奥の院の不動堂は、旧高松小学校(現かほく市)の御真影奉安殿、本堂は旧金沢卯辰山忠魂祠堂を移築したものです。以後、次第に道路や寺観を整えて、現在に至っています。

1998(平成10)年1010日には、倶利迦羅不動寺の西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)が竹橋(たけのはし)地区に復興されました。平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた、左右75メートルの壮大な木造建築となっています。」

(津幡町公式ウエブサイト「倶利伽羅不動寺」より)

倶利伽羅不動5 

(倶利伽羅不動寺・山頂本堂)

 




 

つまり倶利伽羅不動寺の山頂本堂に祀られているのは、812(弘仁3)年に、弘法大師が彫った、御前立の不動尊で、善無畏三蔵法師が彫刻した倶利迦羅不動明王は、奥の院に祀られ、3年に一度、開扉される。倶利伽羅不動尊がどういう縁起でできたのかが書かれた「ご縁起」の看板は、倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿前にある。

倶利伽羅不動1 











(西之坊鳳凰殿にある『倶利伽羅不動尊・ご縁起』

倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿というのは、山頂本堂にあるのではなく、倶利伽羅峠を下って、かなり離れた所にある。ここはどういう所かというと

「津幡町倶利伽羅の道の駅「倶利伽羅源平の郷」の裏手に、倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)があります。倶利迦羅不動寺にはかつて、弘法大師(こうぼうだいし)が建てたとされる七堂伽藍(しちどうがらん)と十二ヶ寺が建立されており、その復興事業の1つとして、1998(平成10)年1010日に西之坊鳳凰殿が建てられました。台湾ヒノキを用いた左右75メートルもある壮大な木造建築は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れ、荘厳優雅な雰囲気を漂わせています。中央の三仏堂では、倶利迦羅不動尊と同体の本尊を中心に、御前立(おまえだち)不動尊の両童子(りょうどうじ=不動尊の左右に立つこんがら童子とせいたか童子のこと)が祀られています。右側の不動堂には、弘法大師が唐より帰られる際に、大嵐に遭い、不動尊に祈願されたところ、難を免れたという波切(なみきり)不動尊が安置され、交通安全祈祷殿とも呼ばれています。左側は阿弥陀堂といい、阿弥陀如来が主尊となって、観音菩薩などが祀られています。」

(津幡町公式ウエブサイト「倶利伽羅不動寺西之坊鳳凰殿」より)

さて、倶利伽羅不動寺の名物として「倶利伽羅そば」がある。この倶利伽羅そばは、倶利伽羅不動寺近くのそば店でも食べることができますが、私は倶利伽羅不動寺・麓の町・津幡町の割烹旅館料理店「勝崎館」で食べました。これが美味しかった。私も「勝崎館」で倶利伽羅そばを食べるまで、倶利伽羅そばという、こんな美味しいそばの存在そのものを全く知りませんでした。

ところでこの西之坊鳳凰殿は、1998(平成10)年1010日に建てられたということだが、パッと見た感じ、何となく宇治・平等院鳳凰堂の造りによく似ているような気がするが、どうだろうか。

倶利伽羅不動4


倶利伽羅不動3


倶利伽羅不動2 

 (倶利伽羅不動寺西之坊鳳凰殿)

鳳凰堂8 





















(宇治・平等院鳳凰堂)