■京都・鹿苑寺金閣1(仏舎利が祀られている舎利殿)

 

□三層部分に仏舎利(釈迦如来の骨)が祀られていると伝承される鹿苑寺舎利殿(金閣)

 

鹿苑寺金閣とは、一般的には「金閣寺」の名前で知られている。寺号は金閣寺ではなく、鹿苑寺という。鹿苑寺とは、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺派とは1392年、夢窓疎石により創始された宗派で、大本山は室町幕府三代将軍・足利義満により建立された京都の相国寺。末寺は日本各地に約100か寺ほどあり、有名な鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)はこの相国寺派の寺院である。「鹿苑寺」の寺号は、足利義満の法号である鹿苑院殿に因んでいる。正式寺号は北山(ほくざん)鹿苑寺という。

鹿苑寺が発行した公式パンフレットによれば、「お釈迦様のお骨をまつった舎利殿『金閣』が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが…」とあり、鹿苑寺の舎利殿『金閣』には、釈迦如来の骨が祀られていると書いてある。フリー百科事典・Wikipedia「鹿苑寺・舎利殿(金閣)」の項目を見ると、「三層は禅宗様の仏殿風で『究竟頂』(くっきょうちょう)と称し、仏舎利を安置する」とあり、金閣の三層に仏舎利が安置されていると、書いてある。ただし、鹿苑寺が発行した公式パンフレットにもフリー百科事典・Wikipediaにも、鹿苑寺金閣の仏舎利(釈迦如来の骨)が、どのような経緯で鹿苑寺に伝承されるようになったのか、という「伝承の経緯」については、一言も触れていない。

鹿苑寺金閣は、応仁の乱、天文法華の乱、禁門の変の戦災を免れ、明治維新・廃仏毀釈の破脚を免れたが、1950年(昭和25年)72日、学僧・林承賢(21)の放火により全焼してしまった。

金閣に祀られている仏舎利は、金閣全焼以前から祀られていたのか。金閣全焼の時に、仏舎利も全焼したのか。金閣再建後、どのような経緯で金閣に仏舎利が祀られたのか、等々について、鹿苑寺が発行した公式パンフレットにもフリー百科事典・Wikipediaにも記載がない。

鹿苑寺金閣の正式名は「舎利殿」という。これは仏舎利を祀るに因んだ名前だと思われる。ただし鹿苑寺の参拝客は、舎利殿(金閣)の中に入ることができないので、金閣の中に入って仏舎利に参拝することはできない。金閣の外側から拝観するのみである。

というか、鹿苑寺金閣の拝観に行っても、漆地に金箔を押した豪華絢爛な三層宝形造の金閣の建物そのものに圧倒されてしまって、中にある仏舎利のことまで関心が向かない。私も何度か鹿苑寺金閣の拝観に行っているのだが、鹿苑寺が発行した公式パンフレットを見て、はじめて金閣に仏舎利が祀られているのを知ったくらい。そしてここに来ると、ものすごい数の観光客が来ており、特に1994年に世界文化遺産に登録されて以降、鹿苑寺金閣を訪れる外国人観光客が激増。2011年の東日本大震災、2012年の竹島・尖閣諸島問題が起きる前は、中国人、韓国人観光客が多かった。2008年、2010年に鹿苑寺に行ったときは、金閣の前で中国人、韓国人をはじめ、外国人観光客が撮影する合間をかいくぐって、金閣を撮影することに神経が集中してしまう。しかも鹿苑寺の境内は一方通行で、金閣の拝観が終わると、庭園方向にどんどん進んで行かなくてはならない。

 

 

□鹿苑寺入口の鏡湖池から金閣までつながっていた日本人・外国人観光客の長蛇の渋滞

 

応仁の乱、天文法華の乱、禁門の変の戦災を免れ、明治維新・廃仏毀釈の破脚を免れて残っていた室町時代の貴重な文化遺産である金閣が、1950年(昭和25年)72日、こともあろうに学僧の放火によって一夜にして全焼してしまったというのは、まことに残念なことである。その後、再建費用として、政府や京都府からの補助金、経済界や全国各地からの寄付金などが集められ、1952年(昭和27年)再建着工、1955年(昭和30年)1010日に再建落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元された。1994年(平成6年)12月、世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして、鹿苑寺が登録された。

鹿苑寺金閣は、京都洛北の北山にあり、JR京都駅からは、かなり離れた所にある。最寄り駅も近くになく、京都駅前からバスに乗って鹿苑寺金閣に行くと、かなりの時間がかかる。京都市内のバス路線は、ものすごく複雑で、バスを乗り継いで京都各所を見学するというのは、ほぼ不可能に近い。京都観光でバスを利用するには、京都市内1日乗車券を買って乗るのが効率的だが、しかしバス路線があまりにも複雑であるため、京都駅から目的地までバスで行くと、次の目的地に行くには、バスを乗り継いで行くということになると、どのバスをどう乗り継いで行けばいいのか、さっぱりわからない。一旦、京都駅まで帰って、それから乗り換えないと、バスの乗り継ぎが、さっぱりわからない。というわけで、時間がものすごくかかってしまう。自家用車か、ないしはレンタカーで京都市内を廻ったほうがいいかもしれません。

鹿苑寺駐車場で車を停めて、黒門をくぐり、ゆるい登り坂を登って歩いて行くと総門がある。総門をくぐった突き当たりが受付。ここで拝観券を買う。この受付の周辺に方丈、書院、庫裡が建ち並んでいる。受付の突き当たりを左に曲がったところが、鹿苑寺の入り口なのだが、1994年(平成6年)12月、世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして、鹿苑寺が登録されて以降、鹿苑寺を訪れる外国人観光客が激増。2008年、2010年に鹿苑寺に行ったときは、いずれも入場待ちの観光客の長い行列ができたくらい。どういうことかというと、あまりにも大勢の観光客が訪れたため、境内の中が観光客で『渋滞』してしまうため、鹿苑寺が一時的に、境内への入場をストップする。その後も受付に続々と観光客が来るために、入場待ちの長い行列ができてしまうわけである。

入り口から入ると日本庭園が広がっており、鏡湖池が広がる。鏡湖池のほとりに立つと、右前方に金閣が見える。金閣は鏡湖池のほとりに建てられている。2008年、2010年に鹿苑寺に行ったときは、いずれもここから金閣の建つ所まで、観光客の渋滞。なぜここで渋滞が起きているのかというと、日本人観光客も外国人観光客も金閣をバックに記念撮影をしているから。だから観光客の列がなかなか前に進まず「渋滞」になり、長蛇の列になってしまうわけである。

鹿苑寺金閣5



(鹿苑寺金閣)