■日蓮宗大本山・重須法華本門寺根源(北山本門寺)1

 

北山本門寺(きたやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市北山にある日蓮宗の七大本山の1つで、正式名称は富士山重須法華本門寺根源。通称として重須本門寺とも呼ばれることがあります。

この北山本門寺は、西山本門寺、 日蓮正宗大石寺、 日蓮正宗下条妙蓮寺、 日蓮宗小泉久遠寺とともに富士門流の「富士五山」を構成。また、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられています。

北山本門寺のルーツは、日興が1293年(永仁元年)に石川能忠の寄進をうけて北山に重須談所を設け、同時に、本堂・御影堂・垂迹堂の建設にとりかかり、5年後の1298年(永仁6年)に落成したことが発端だという。明治時代に興門八本山で構成されていた旧本門宗時代は、本門宗の総本山、宗務院がここ北山本門寺におかれていた。

 

場所的にはJR身延線富士宮駅よりバスで25分、本門寺入口下車徒歩5分のところにある。しかし電車・バスを乗り継いでここへ行くというのは、まことに不便で、車のほうが便利である。

北山本門寺の境内地そのものは、すごく広いのであるが、ちょうど国道469号線が真ん中を突き抜けるように走っていて、北山本門寺の境内地がこの国道によって南北に分割されたような形になっている。

国道469号線から本堂に向かう道に建っている大きな門は、山門ではなく仁王門という門です。

この仁王門には「法華本門寺根源」という看板が掲げられている。北山本門寺の説明によると、これは日蓮が将来の本門寺建立の時のために、「本門寺の額」だけを先に造ったものであるという。

ただし日蓮筆のものは、武田の兵乱の時に紛失してしまって、今、仁王門に掲げているものは、それ以前に本門寺貫首の写本を基にしたものだという。

北山本門寺39仁王門


大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊も後世の偽作なら、大石寺に対抗してきた北山本門寺の「本門寺の額」やら「二箇相承」も後世の偽作である。富士門流の歴史を少しでも研究したことがある人なら、誰でも気づくはずだが、大石寺、北山本門寺、京都要法寺の覇権紛争・偽作競争は凄まじいものがあります。

私は、北山本門寺の仁王門の「本門寺の額」なるものを見上げて、ため息が出てしまった。

 

北山本門寺の本堂は御影堂と呼ばれ、ここには日蓮が生きていた時代に、弟子の日法が造立したという、「生御影」と呼ばれる日蓮の木像が祀られているというが、これも後世の偽作の疑いが限りなく強い。

 

これに対して、本門寺の廟所にある開祖日興の正墓というのは、どういうわけかぜんぜん目立たないところにある。身延山久遠寺が日蓮の正墓を荘厳して自分の寺の権威付けに利用しているのとは、とても対照的です。

要するに自分の寺を荘厳して権威付けに利用するためには「日興」ではダメで「日蓮」でなくてはならないと、言わんばかりであるかのように見えます。