■法華本門寺根源(北山本門寺)2

 

「法華本門寺根源」というと、「何のことですか」と首をかしげる方がいらっしゃるかもしれません。

この法華本門寺根源とは、通称名を「北山本門寺」といい、こちらの名前のほうが一般に知られています。正式名は、「日蓮宗大本山・富士山法華本門寺根源」と言います。

この寺院の住所が、静岡県富士宮市北山4965にあるので、通称、北山本門寺と呼ばれていると言うことである。あるいは、このあたり一帯をかつて重須と呼んでいたことから「重須本門寺」という通称名もあります。

 

この北山本門寺という寺は、あの日蓮正宗・大石寺から東へ約2キロほど離れた地にあり、大石寺と同じ日興が開祖になっている富士門流八本山のうちのひとつ。

今は、日蓮宗大本山に数えられています。

 

なぜここが日蓮宗大本山になっているかというと、1941(昭和16)3月の日蓮宗、顕本法華宗、本門宗の三派合同で日蓮宗に合同したまま、日蓮宗にとどまっているので、そうなっているもの。

元は、北山本門寺は、本門宗総本山だったとこころで、ここ北山本門寺に、本門宗宗務院が置かれていた。

本門宗とは、日興門流が1876年(明治9年)に結成し、 1941年の日蓮宗、顕本法華宗との三派合同によって発展解消した、日蓮系の宗派。

1876年(明治9年) 富士門流に所属する8本山(富士大石寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、富士妙蓮寺、伊豆実成寺、保田妙本寺、京都要法寺)とその末寺により、日蓮宗興門派として発足。 1899年(明治33年)本門宗と改称したもの。

この中には、今の日蓮正宗である富士大石寺、妙蓮寺および末寺が入っていた。

1900年(明治34年)大石寺とその末寺が離脱し、日蓮宗富士派として独立、1912年(明治45)には日蓮正宗と改称。

1941年(昭和16年)、本門宗は勝劣派の顕本法華宗、一致派の日蓮宗とともに三派合同を行い、勝劣派、一致派の諸門流の本山末寺からなる日蓮宗に発展解消した。

 

ではなぜ、この北山本門寺が、本門宗総本山で、本門宗宗務院が置かれていたのか、というと、ここに日興門流の開祖・日興の正墓がある、ということが、何と言っても決め手であろう。

現在の北山本門寺は、公式に「日興・日頂二上足御正廟」と銘打っており、日興の正墓は

「日興上人御正廟」ないしは「日興上人御正所」と称しており、公式サイトでも

「日興上人は元弘三年(1333)二月七日、当山に於いて遷化。翌八日荼毘に付され、当地に御正廟が建立されました。」

と発表しています。

http://park16.wakwak.com/~honmonji/

 

日興は、元弘3年(133327日、北山本門寺で入滅し、北山本門寺で荼毘に付され、葬送の儀が行われ、北山本門寺に葬られて、正墓が建てられている。これは古文書にも明らかな史実である。

したがって、日興の正墓がある所は、北山本門寺なのであって、大石寺ではない。当たり前のことです。

 

北山本門寺2日興正墓2