■法華本門寺根源(北山本門寺)3

 

重須法華本門寺根源、すなわち北山本門寺は、日蓮宗大本山という格付けになっていますが、元々は富士門流八本山のひとつとして、創建以来、末寺を持っています。

現在の所、北山本門寺の末寺は、塔中6ヶ坊を含めて36ヶ寺あります。この中には、1292(正応5)年開創の東光寺(静岡県富士宮市下条)があります。

東光寺6


東光寺とは、同じ富士門流八本山のひとつである京都・要法寺(日蓮本宗本山)13代貫首・広蔵院日辰が富士に下向した折り、その日辰の元に、東光寺の僧侶がやって来て、日蓮正宗大石寺9世法主日有が癩病になっていたという、いわゆる「日有癩病説」をふかし込んだことが、日辰の著書「祖師伝」に出てくることで有名です。

ただし、「日有癩病説」そのものは、誤りであり、「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮正宗大石寺9世法主日有の偽作だ」PART1にて詳しく論証しています。

「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮正宗大石寺9世法主日有の偽作だ」PART1(検証180)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66689819&comm_id=406970

 

この東光寺は、富士宮市下条ですから、日蓮正宗本山・富士妙蓮寺の近所と言うことになります。1292(正応5)年開創ですから、大石寺開創の2年後に開創した寺院ということになりますが、北山本門寺の末寺になっています。

 

この他に、元々、北山本門寺の末寺だった寺院である、1577年開創の妙泉寺という寺院が、富士宮市にありますが、1956(昭和31)に日蓮宗を離脱して、日蓮正宗に合同しています。

 

北山本門寺の正式名である「法華本門寺根源」という名前は、「大日本国富士山本門寺根源」と書いてある額から来ています。北山本門寺では「本門寺棟札」と読んでいるようです。

北山本門寺39仁王門

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の調査・見解に依れば、これは北山本門寺9代貫首・日出の写本ということで、堀日亨は「富士宗学要集」8巻に、「本門寺棟札」の日出写本を載せていますが

「大日本国富士山本門寺根源」となっています。そうすると仁王門に掲げられている「本門寺棟札」は、さらに後世の写本と言うことか。

 

北山本門寺の見解に依れば、これは日蓮が将来の本門寺建立のために、「本門寺棟札」だけを先に造立したものだ、と言うのだが、こんなものを日蓮真筆だと本気で信じている人は、おそらく北山本門寺の僧侶・信者以外、誰もいないのではないでしょうか。

 

しかもこの「本門寺棟札」は、本来は、中世の頃まで北山本門寺に格蔵されていた「二箇相承」と一体のものだったはずなのですが、現在の北山本門寺は、「二箇相承」は完全に引っ込めてしまっていて、「本門寺棟札」だけを掲げているという、これまた面白いことをしている。

北山本門寺僧侶に言わせると

1581(天正9)年の武田の兵乱で強奪された北山本門寺の霊宝類の中に二箇相承書の正筆があったという事実はない」

と否定しており、二箇相承書そのものが、実質的に後世の者の手による偽作・謀作であることを認めているわけです。

 

現在、北山本門寺は、「二箇相承」を否定する立場に立っており、公式サイトにおいても、「御霊 宝」の中に、「本門寺棟札」はありますが、「二箇相承」は入っていません。

http://park16.wakwak.com/~honmonji/