■真宗本廟・東本願寺3(世界最大の木造建築・御影堂)

 

□東大寺大仏殿よりも面積が広い世界最大の木造建築・真宗本廟・東本願寺御影堂

 

1598年の豊臣秀吉の病没、1600年の関ヶ原の合戦で徳川家康が全国の覇権を掌握すると、1602(慶長7)年、徳川家康は京都烏丸六条に寺地を教如に寄進。さらに徳川家康の仲介によって、群馬県妙安寺伝来の親鸞座像(ご真影)が教如に寄進され、ここに東本願寺が造営された。真宗本廟・東本願寺の実質的な開基は徳川家康だと言うことができる。徳川家康の東本願寺寺域寄進が、本願寺の東西分立を固定化させた。徳川三代将軍家光のときに、東本願寺は新たに六条と七条の地を加増している。

しかし東本願寺は、江戸時代に合計四度の火災にあい、現在の御影堂、阿弥陀堂は、幕末の1864(元治元)年の禁門の変で焼失した後、明治28年(1895年)に再建が落成している。

教如が東本願寺を創建した当初の御影堂、阿弥陀堂は、現在の堂宇ほど大規模なものではなかった。「古寺巡礼・東本願寺」(淡交社)によれば、御影堂の間口で約三分の二、阿弥陀堂の間口でも約八割弱の大きさだったという。これが1661(寛文元)年の親鸞四百回忌を機に新たな御影堂、阿弥陀堂再建がはじまる。御影堂の再建は1652(承応元)年にはじまり、1658(明暦4)年に竣工している。「古寺巡礼・東本願寺」(淡交社)に載っている「歴代の御影堂・阿弥陀堂の規模」によれば、慶長度の創建時の御影堂は40.91m×32.72m。明暦・寛文度の再建の御影堂は61.81m×44.99m。単層入母屋造りから重層入母屋造りに改められている。明暦・寛文度の御影堂が、1788(天明8)年の大火で焼失。さらに1823(文政6)年には失火で焼失。さらに1858(安政5)年には安政の大火の類焼で焼失。さらに1864(元治元)年の禁門の変の兵火で焼失した。先の三度の焼失については、すぐに再建作業にとりかかり、短期間で竣工しているが、禁門の変の兵火での焼失からの再建は、幕末・明治維新の激動期でもあり、なかなか実施されなかった。これが1879(明治12)年になって、ようやく明治政府が再建を発令。全国末寺門徒の協力で再建資金と巨大な巨木が集められ、明治13年(1880年)に起工し、明治28年(1895年)の竣工。再建工事に携わった大工は、御影堂が延べ約128万人。阿弥陀堂が約56万人。再建工事での殉職者は105人。ケガをした人は292人。かなりの難工事だったようである。

現在の東本願寺は約93000m2という広大な寺域の中に、南北76m、東西58m(4408m2)、高さ38m、堂内927畳の御影堂。そして南北52m、東西47m、高さ29mの阿弥陀堂がある。

現在の東大寺大仏殿は高さ46.8m、間口57m(2667m2)、奥行50.5メートル。高さは東大寺大仏殿のほうが高いが、面積は東本願寺御影堂のほうが広い。よって世界最大の木造建築とは、東本願寺御影堂ということになる。ただし奈良時代、鎌倉時代の大仏殿は、高さは約50mと同じですが、広さは間口約86m×奥行約50m(4300m2)となっている。奈良時代、鎌倉時代の大仏殿と比較しても、現在の東本願寺御影堂(4408m2)のほうが、わずかに面積が広い。

御影堂1




















 

(真宗本廟・東本願寺御影堂)

 

 

□東本願寺参拝接待所ギャラリーで行われていた死刑囚が描いた絵画展「いのちの表現展」

 

20141月、東本願寺御影堂に参拝した時、ちょうど御影堂では門首猊下出仕のもと法要が行われていて、私も御影堂内に座って参列。久しぶりに大谷派の正信偈を聴聞した。「正信偈(しょうしんげ)」とは「正信念仏偈」といい、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文のこと。本願寺第8世蓮如によって朝暮の勤行として読誦するよう制定された。正信偈の読誦の音調を「和音」というが、この和音の音調が、浄土真宗十派で、中でも東本願寺と西本願寺ではかなり違っている。東本願寺の和音は、最初から最後まで、実に音楽を奏でるように、音楽調に読誦する。東本願寺の和音のフシは、独特の音調である。私の実家では、祖母が東本願寺の信仰に熱心で、毎月、命日に真宗大谷派僧侶を自宅に招いて正信偈を読誦してもらう「月参り」を営んでいた。そういうわけで、東本願寺の正信偈の和音は、私は子どもの頃から耳にしていた。20141月、東本願寺御影堂に参拝した時に聞いた正信偈の和音のフシも、私が子どもの頃から聞いていた正信偈の和音のフシと全く同じ。東本願寺では、どの僧侶が正信偈を読誦しても、あの独特の音調の和音のフシを同じに読誦するから、これはすごいなと思って、いつも聞いている次第です。

私にとっては、東本願寺の和音のフシが、かなり耳になじんでいますね。

東本願寺参拝接待所ではビデオ放映を行っているというので、参拝接待所に足を運んでみると、真宗本廟・東本願寺の実質的な開祖・教如の弘教と一生涯を紹介するビデオ放映だった。教如の弘教について説明していたのは大谷大学の学長。大谷大学とは、1665年、東本願寺が設立した「学寮」を起源とする大学で、実質的な浄土真宗大谷派の付嘱大学である。

東本願寺のギャラリーでは、人権週間ギャラリー展・「いのちの表現展」が行われていた。これは確定死刑囚が拘置所の独房の中で描いた絵画の展示である。この中には和歌山毒入りカレー事件の林真須美死刑囚が描いた絵画も展示されていた。なぜ東本願寺が死刑囚が描いた絵画の展示を行っているのか、ということだが、これは浄土真宗大谷派が1988年以来、死刑執行の度に「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」を宗派として表明し、死刑制度の議論を呼びかけてきていること。そして1999年と2002年に、死刑制度を問う場として、死刑囚が描いた絵画を展示する「いのちの絵画展」を行ってきていること。死刑制度の是非を問う公開講座やシンポジウムを開催してきていること。これらの運動の延長線上に、今回の「いのちの表現展」が行わたということのようである。「仏教宗学研究会」管理人は、死刑制度等々、個々の政治問題についての立場は表明しないが、展示された絵画について、一言、述べるならば、鑑賞していて何となく自然さが感じられないと思ったのは、私だけだろうか。

いのち展1


いのち展2


いのち展3


いのち展4




















































































































 

(東本願寺・人権週間ギャラリー展・「いのちの表現展」)