■真宗・西本願寺1(御影堂)

 

□御影堂を「みえいどう」ではなく「ごえいどう」と読む浄土真宗本山・東西本願寺御影堂

 

真宗・西本願寺とは、浄土真宗本願寺派本山・本願寺で通称名は西本願寺。正式名は龍谷山本願寺という。本願寺とはもともと宗祖・親鸞の廟所である大谷廟所から発展した寺院。大谷本願寺、山科本願寺、石山本願寺の変遷があり、織田信長と石山本願寺戦争(石山合戦)を行う。石山合戦は、織田信長との講和・石山退去によって終結。本願寺教団が石山退去の翌日、石山本願寺は焼き払われてしまう。石山本願寺明け渡しを巡って、本願寺11代門主・顕如(15431592)を中心とする勢力は織田信長との講和を受け容れたのに対して、顕如の長男である教如を中心とする勢力は、これを拒んで籠城を主張した。そのため、教如は顕如から義絶されてしまう。

その後、本願寺教団は、寺基を紀州(和歌山)鷺森、和泉(大阪)貝塚、大坂天満へと転々とした後、1591(天正19)年、豊臣秀吉から現在の京都堀川七条の土地を寄進され、今の西本願寺が造営された。教如は大和、近江、安芸など流浪するが織田信長が本能寺の変で死去すると、顕如と教如は和解する。本願寺11代門主・顕如の没後、12代門主は当初は顕如の長男・教如が後を継いだ。しかし豊臣秀吉は、教如が父・顕如から義絶されたことがあること、石山合戦で最後まで籠城を主張して織田信長に反抗したこと等を理由に、教如が本願寺門主を務めることに異を唱える。

しかし豊臣秀吉は10年に限り教如が本願寺門主を務めることを認める裁決を下すが、教如派はこれを不服としたため、豊臣秀吉は教如を直ちに隠退させ、本願寺11代門主・顕如の三男・准如を12代門主とした。しかしその後も教如は、教如を支持する末寺や門徒に絵像を授与するなどの門主としての活動をつづけた。こうした中で教如と徳川家康が接近していく。1598年の豊臣秀吉の病没、1600年の関ヶ原の合戦で徳川家康が全国の覇権を掌握すると、1602(慶長7)年、徳川家康は京都烏丸六条に寺地を教如に寄進。さらに徳川家康の仲介によって、群馬県妙安寺伝来の親鸞座像(ご真影)が教如に寄進され、ここに東本願寺が造営された。徳川家康は、教如を中心とする教団を追認したわけだが、これは巨大勢力を保って織田信長に約十年にわたって石山合戦を挑んだ本願寺教団を東西に分裂させたまま固定化し、弱体化を図った徳川家康の宗教政策であるとする説が一般的である。

西本願寺も、真宗本廟・東本願寺と同じように、本尊である阿弥陀如来像を祀る本堂(阿弥陀堂)と親鸞御影を祀る御影堂の二堂が中心堂宇になっている。ただし真宗本廟・東本願寺は、北側が御影堂、南側が阿弥陀堂になっているのに対して、西本願寺は南側が御影堂で、北側が阿弥陀堂になっている。つまり、東西本願寺で、御影堂と阿弥陀堂の配置が逆になっている。

その御影堂だが、浄土真宗十派の本山には、いずれも阿弥陀堂と御影堂が並んで建っている。浄土真宗十派は「御影堂」を「みえいどう」と読む宗派と、「ごえいどう」と読む宗派に分かれる。西本願寺も真宗本廟・東本願寺も御影堂を「ごえいどう」と読む。

 

 

□日蓮正宗大石寺客殿とは浄土真宗東西本願寺御影堂に対抗して建てたパクリ建築である

 

西本願寺は、1596(慶長元)年の地震で御影堂や諸堂宇が倒壊。さらに1617(元和3)年に本願寺御影堂、阿弥陀堂が焼失している。御影堂は1636(寛永13)年に再建。阿弥陀堂はこれより約120年ほど遅れた1760(宝暦10)年に再建されている。

西本願寺御影堂は、東西48m、南北62m(2976m2)、高さ29m。外陣は441畳敷で約1200名が一堂に参拝できる。227本の柱で約115000枚の瓦を支える世界最大級の木造建築である。御影堂は1999(平成11)年より親鸞七百五十回遠忌記念事業として約10年間にわたり、「平成の大修理」が行われた。これに対して真宗本廟・東本願寺は南北76m、東西58m(4408m2)、高さ38m、堂内927畳の御影堂。そして南北52m、東西47m、高さ29mの阿弥陀堂がある。比較してみると、西本願寺御影堂は、東本願寺御影堂よりも、ひとまわりほど小さく、東本願寺阿弥陀堂とほぼ同じくらいの大きさである。東大寺大仏殿と比較して見ると、現在の東大寺大仏殿は高さ46.8m、間口57m(2667m2)、奥行50.5メートル。高さは東大寺大仏殿のほうが高いが、面積は西本願寺御影堂とほぼ等しい。奈良時代、鎌倉時代の大仏殿は、高さは約50mと同じですが、広さは間口約86m×奥行約50m(4300m2)となっている。奈良時代、鎌倉時代の大仏殿と比較すると、現在の西本願寺御影堂よりも、奈良時代、鎌倉時代の大仏殿のほうが大きい。データを比較するとこうなるが、実際に東本願寺御影堂、西本願寺御影堂に入ってみても、入った感じとしては、どちらもそんなに変わらないような気がする。東本願寺御影堂も西本願寺御影堂も中の造りが実によく似ている。

さて建物の外見なのだが、西本願寺御影堂、阿弥陀堂は日蓮正宗大石寺の客殿と実によく似ているのである。これは単純に写真を比較すると、わかりやすいのではなかろうか。

大石寺客殿のデータは、間口・奥行とも約50m(2500m2)、高さは36m。内部の基本構造は鉄骨造りで、外装や堂内の仕上げは木材を使用。2階に1,112畳の大広間がある。これは真宗本廟・東本願寺の御影堂と比較すると、面積は小さいが、高さは東本願寺御影堂とほぼ等しい。堂宇の中の造りは、東本願寺御影堂が927畳敷に対して、大石寺客殿は1,112畳敷。東本願寺御影堂、西本願寺御影堂は柱が数多くあるのに対して、大石寺客殿の中には柱が一本もない。大石寺客殿とは東本願寺御影堂、西本願寺御影堂に対抗して建てられたパクリ建築ではないだろうか。

御影堂1 



















(浄土真宗西本願寺・御影堂)

阿弥陀堂2 



















(浄土真宗西本願寺・阿弥陀堂)

 客殿21















(大石寺客殿・ユーチューブの映像より)

客殿4 









(大石寺客殿)