■日光山輪王寺・東照宮2(徳川家光の廟所・大猷院)

 

□七階まで階段で登らなければ「平成の大修理」作業の見学が出来ない輪王寺三仏堂

 

東武日光駅に到着すると、駅前から世界遺産めぐり巡回バスに乗って日光山へ。かつて私は東武日光駅から日光山へ歩いて行ったこともありましたが、今はとても歩いて行く気がしない。というのは東武日光駅から日光山まで、かなり距離があること。そして日光山内の東照宮、輪王寺、大猷院等々の境内・敷地がものすごく広大なこと。日光山に着いてからも、かなり歩かなくてはならないのに、東武日光駅から日光山まで歩いて行ったら、それこそへばってしまう。まだ若かった頃、はじめて日光山輪王寺・東照宮に行った時、若さの馬力で東武日光駅から日光山まで歩いて行ったことがあった。ところがその後、広大な敷地の日光山内を歩いて参拝してまわったのち、帰路はそれこそ汗だくでクタクタになってしまっただけでなく、足腰にものすごい痛みが残った。その後、日光山に行くときは、東武日光駅前からバスに乗ってしまう。最近は、東武日光駅から日光山までバスで往復しても、広大な敷地の日光山内を歩いて参拝してまわるだけで、クタクタに疲れ果ててしまう。日光山拝観は、だいたい一番手前の輪王寺からはじめる。輪王寺三仏堂は現在、「平成の大修理」中。しかし修理中の作業も見学することができる。輪王寺受付窓口の女性の話によれば、「輪王寺」の名称は三仏堂の尊称であるとのこと。輪王寺窓口でもらった栞によれば、三仏堂のことを「日光山大本堂」と書いてある。そして徳川家光廟・大猷院は、輪王寺別院になっている。日光山の中は、輪王寺と大猷院が天台宗寺院で、東照宮と二荒山神社は神社ということになっているが、これは神仏分離令が出た明治維新以降のこと。それ以前は神仏習合であり、輪王寺、東照宮、二荒山神社、大猷院は全て日光山の境内であった。そのためか、今でも輪王寺、東照宮、二荒山神社の境界ははっきり定まっていないという。私はかつて「アンチ日蓮正宗」で、かつて輪王寺、東照宮、二荒山神社、大猷院は神仏習合で全て日光山だったという意味のことを書いたところ、あわててフリー百科事典・Wikipediaを検索した洗脳法華講員・龍神ひろしが、にわか知識をふりかざして「日光東照宮と輪王寺は別だ。Hideは勉強不足だ」などという、まぬけな誹謗中傷を書いたことがあったが、勉強不足は、何でもかんでもフリー百科事典・Wikipediaを検索して、にわか知識を取得すれば事足れりと思っている龍神ひろしのほうである。

「平成の大修理」で輪王寺三仏堂をすっぽりと覆っている素屋根は、7階建て。素屋根の七階まで上がって「平成の大修理」の作業を見学することができる。ところが七階までは、ひたすら階段を登って行かなくてはならない。これは体力的に、かなりへばりますね。私は数年前、姫路城の見学に行ったのですが、ここも「平成の大修理」中で素屋根にすっぽりと覆われていた。ところが姫路城の素屋根には、エレベーターがついていて、エレベーターに乗って難なく上まで登って、「平成の大修理」の見学ができた。なぜエレベーターを付けなかったのだろうか。日光山では高齢者の参拝客をたくさん見かけたのですが、高齢者が七階まで階段を登って行くというのは、かなりきびしいと思われる。私も七階まで登って作業を見学し、下まで降りてきたら、汗ぐっしょりになってしまった。三仏堂の中と、大護摩堂で祈祷受付があり、護摩祈祷を申し込んできました。

三仏堂1




















 

(輪王寺の素屋根)

 

 

日光山の大猷院(たいゆういん)は、江戸幕府三代将軍・徳川家光の廟所で、大猷院とは朝廷から下賜された徳川家光の戒名である。徳川将軍家の菩提寺である増上寺、寛永寺に行っても、徳川家光の廟所はない。岡崎・大樹寺に徳川家光をはじめ、徳川歴代将軍の等身大の位牌が祀られているが、ここにも家光の廟所はない。徳川家光の廟所があるのは、日光山の大猷院である。

ただし徳川家光が葬られている廟所そのものは非公開になっており、参拝客が入っていけるのは、拝殿まで。拝殿の本殿に昇殿して参拝。内陣須弥壇には、徳川家光の位牌が祀られているが、閉扉されている。岡崎・大樹寺に祀られている徳川家光の位牌は等身大と伝承されるが、大猷院の位牌は大きな位牌ではあるようだが、見た感じとしては等身大には見えない。

それにしても東照宮や大猷院に来ると、まさに江戸時代にタイムスリップしたような気持ちになる。東照宮や大猷院の伽藍は、江戸時代のものがそのまま残る。が、漆、金箔を貼りめぐらせた伽藍は、江戸時代の徳川将軍家の権力、財力がいかにものすごいものだったかが、伝わってくる。派手で豪華絢爛な江戸幕府の巨大な造営物といえば、江戸城、二条城、名古屋城、日光山、久能山といったものが思い浮かぶ。しかし江戸城は戊辰戦争と第二次世界大戦で焼失。名古屋城も第二次大戦で焼失している。今、私たちが直接、目に出来るのは日光山、久能山、二条城ぐらいなものだろうか。江戸時代の全国の石高の四分の一を占めた上に、全国の金山、銀山、銅山を天領にして直接経営していた徳川幕府の財力、経済力は、天皇、公家をもはるかに凌ぎ、全国の大名をも圧倒するものだった。日光山輪王寺、東照宮、大猷院の豪華絢爛な堂宇は、まさに徳川幕府の財力の象徴。ただし漆、金箔は長年の歳月がたっているので、色あせて見える。

大猷院13



















 

(大猷院本殿)


大猷院12




















 

(大猷院拝殿唐門)


大猷院9



















 

(大猷院二天門)


大猷院1



















 

(大猷院)


大猷院14




















 

(大猷院拝殿周辺)


大猷院15




















 

(大猷院外壁)