■法華本門寺根源(北山本門寺)6(大石寺・本門寺を結ぶ国道469号線)

 

北山本門寺には、何度も行っているのですが、今回の日記は、北山本門寺で寺跡調査をしたときのものを記していきたいと思います。

北山本門寺にはじめて行ったのは、今から約20年くらい前のことで、その後も何度か北山本門寺に行っています。昔は、インターネットも携帯もパソコンもない時代でしたので、年中行事をはじめとする詳しい情報がなかなかわからず、なにか一つ調査するにしても、いろいろと苦心した記憶があります。

 

北山本門寺は、富士宮道路の北山インターから国道469号線を西へ、日蓮正宗大石寺方面へ向かうと、ほどなくの所にあります。

この国道469号線を北山本門寺からそのまま西にむかって車を走らせていくと、大石寺の三門前に着きます。したがってこの国道469号線は、北山本門寺と日蓮正宗大石寺をむすんでいるということになります。

かつて宗創和合時代における創価学会の団体登山バスや、現今の法華講の団体登山バスが、北山インターから大石寺三門付近の駐車場に向かったケースも多かったと思うのですが、そのルートで行くと、これらの登山バスは、北山本門寺の仁王門前を通っていったことになります。

北山本門寺39仁王門


 

今から2030年も前のことですが、日蓮正宗大石寺に登山参詣した創価学会員や法華講員たちの口から

「登山バスが大きな邪宗の寺院の前を通っていった。こんなところにも邪宗の寺院があったんだ」

などという話しをよく聞かされたものだったが、創価学会員や法華講員たちが言う「大きな邪宗の寺院」とは、北山本門寺のことを言っていたと思われます。

それにしても創価学会員や法華講員たちは、富士宮市にある寺院は、みんな日蓮正宗の寺院だとでも思っているんだろうか。彼らの浅識・浅学ぶりには、ただあきれ果てるばかりです。

 

大石寺と北山本門寺は、国道469号線で約2キロぐらいしか離れていません。こういうことから、昭和20年代後半から昭和30年代のころにかけて、特に戸田城聖が創価学会会長のころ、創価学会が「折伏大進撃」と称して、超強引・超執拗な折伏・入信勧誘を大々的に展開していた時代、この北山本門寺にも、連日連夜、創価学会員たちが押し寄せて、「折伏」「布教」に名を借りた乱暴狼藉を行っていたという話しを聞きました。

当時の北山本門寺貫首は、1943(昭和18)から1997年(平成9年)5月まで、約54年の永きにわたって貫首職を務めた47代貫首・片山日幹氏の時代。片山日幹貫首は、連日連夜押し寄せる創価学会員と論戦して、ことごとく論破したと聞き及んでいます。

昭和20年代後半から昭和30年代といえば、富士門流では、讃岐本門寺、下条妙蓮寺の日蓮正宗との合同にはじまって、保田妙本寺本末、日向定善寺本末、西山本門寺が次々と、創価学会員たちの猛折伏によって、次々と日蓮正宗の軍門に下っていきました。

北山本門寺の末寺でも、妙泉寺が日蓮正宗の軍門に下っていますし、法華宗本門流の寺院だった静岡県伊豆の国市の大仁山本門寺(今の本円寺)も、日蓮正宗の軍門に下っています。

 

そういう時代で、北山本門寺が、創価学会員たちの非常識な折伏・入信勧誘・乱暴狼藉にも負けずに、日蓮正宗の軍門に下ることなく、独立を貫いたというのは、特筆すべき事ではないかと思います。