■靖国神社2(8月15日・終戦の日の参拝1)
□多くの人の参拝で鳥居から拝殿にかけて参拝人の“渋滞”がおきていた靖国神社
私は、毎年欠かさずとまではいかないまでも、時間の許す限り、終戦の日、ないしは終戦の日前後には、靖国神社に参拝しています。ペース的にはだいたい3年ないし4年に1度は8月15日・終戦の日に靖国神社に参拝しています。そこでここには、2008年8月15日の靖国神社記を、当時の「mixi」日記から転載してみたい。
この日、靖国神社に到着したのは午前11時くらいだったのですが、今日は日差しが強く、気温もかなり上がっており、猛暑の中での参拝となった。私が靖国神社に到着した時、すでに境内には、ものすごい人が参拝に訪れており、鳥居から拝殿にかけて、参拝の人たちの“渋滞”がおきていました。靖国神社周辺は、警視庁の警官や機動隊員が出動しており、あちらこちらに装甲車(?)が止まっていて、ものものしい雰囲気。また境内には、一般の人のほかに、日本国旗の鉢巻きをした人、日本国旗を掲揚しながら行進している人、旧日本軍の軍服姿?で行進・参拝している人、暴走族風のいでたちの人、拝殿の前で声明文を読み上げている人、8月15日の靖国神社を報道しようとカメラとマイクを構えているテレビ局やマスコミのクルーたち、…
終戦の日の靖国神社には、必ずいる人たちが、この日もいました。そういうわけで、靖国神社の鳥居から拝殿の前に来るまで、かなりの時間を要しました。
いつもながら、靖国神社の拝殿の前で参拝し、日本の国のために亡くなられた英霊のことを思うと、胸が熱くなります。現在、靖国神社には246万6532柱の英霊が祀られているということですが、先の太平洋戦争によって亡くなられた一人一人の英霊は、どういう思いで亡くなられたのでしょうか??「天皇陛下万歳」を叫んで亡くなられた方、無念の思いで亡くなられた方、特攻隊員として自ら玉砕された方、戦争には行きたくなかったが戦死された方、異国の地で敵兵に殺されてしまった方、…さまざまであっただろうと思います。そういう英霊のことを思うと、なぜか胸が熱くなります。少なくとも、今の私には、英霊と同じように、日本の国のために死ぬということが、できないと思います。今の日本の繁栄、私たちの生活も、戦争で亡くなられた人たちの犠牲の上に成り立っているというのは、その通りだと思います。今の私には、ただ英霊の前で頭を垂れることしかできないのが、まことに残念です。
拝殿で参拝を終えると、いつも複雑な思いにかられながら、靖国神社をあとにします。
やはり、最低でも一年に一度は、せめて終戦の日ぐらいは、先の太平洋戦争で亡くなられた英霊のことを思い、靖国神社に足を運ぶことは大事なことだと思います。
(2008年8月15日・靖国神社)
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