■法華本門寺根源(北山本門寺)9(日尊腰掛け石)
北山本門寺の仁王門をくぐって一直線に参道を歩いて二天門をくぐると、本堂(御影堂)に突き当たります。御影堂前には「日尊上人腰掛け石」があります。
「日尊上人腰掛け石」とは、かつて日興が、北山本門寺の前身である重須談所にて、弟子たちを前に説法・講義をしていた時、聴聞していた弟子の日尊が、舞い散る梨の葉に一瞬記を取られてよそ見していたところ、これが日興に咎められて「勘気」を蒙った。日蓮正宗では、破門と言っていますが、古文書では「勘気」と呼んでいます。
勘気とは、主君・親などの目上の人からの咎め。勘当のこと。
日蓮正宗や創価学会に言わせると、「今風に言うと、これは破門だ」ということになるのでしょうが、私の考えでは、日尊の受けた「勘気」は、今の破門とは、ニュアンスが違うように思います。
とにかく日興から「勘気」を蒙った日尊は、その後、全国行脚・布教の旅に出る。そして北関東から西日本に至るまで36ヶ寺を建立するという布教の実績を上げているわけですが、この36ヶ寺のうち、28ヶ寺が確認されています。
山形県 妙国寺、妙円寺、
福島県 一円寺、実成寺、満願寺、願成寺、仏眼寺、妙福寺、
栃木県 浄円寺、那須・法華堂、石田・法華堂、
茨城県 富久成寺
埼玉県 妙本寺
東京都 妙縁寺
静岡県 伊豆・実成寺
京都府 長福寺、要法寺、
兵庫県 上興寺、
島根県 安養寺、妙剛寺、妙吉寺、金言寺、妙伝寺、東満寺、本妙寺、菩提寺、妙興寺、
鳥取県 法蔵寺、
この28ヶ寺のうち、8ヶ寺が日蓮正宗寺院、5ヶ寺が日蓮本宗本山要法寺本末、9ヶ寺が日蓮宗・興統法縁会の寺院です。
この28ヶ寺を見ると、日尊が日興から勘気を蒙った間に限定されているわけではなく、日興から勘気を蒙る前、勘気を許された後に建立された寺院も含まれているため、日尊が生涯で建立した寺院が36ヶ寺あるという意味と思われる。
さて、日興から勘気を蒙っていた間、全国布教に出ていた日尊が、重須談所(今の北山本門寺)のお会式の時だけは、北山本門寺に登り、この腰掛け石に座って参拝したというものです。
つまり日尊は僧であったわけですが、日興から勘気を蒙っていたため、御影堂の中に入ることが許されず、この腰掛け石から遙拝していたということです。
この日尊の話しは、日蓮正宗を含めて、富士門流では有名な話しです。日蓮正宗や創価学会、顕正会あたりの信者でも、ちょっと本を読んでいる信者は、知っている話しです。
ただ、この日尊勘気の話しはあくまでも富士門流の伝承であって、本当に北山本門寺の腰掛け石に座っていたかどうかは、別問題です。
つまり正確に言うと「伝・日尊上人腰掛け石」と言うべきものだ、ということです。
それと日尊といえば、京都・要法寺を本山とする日尊門流の開祖ですが、北山本門寺貫首の中に要法寺出身の貫首がいます。それは34代貫首の玉野日志氏で、大石寺52世法主鈴木日霑との間で「霑志問答」と呼ばれる文書問答を行った貫首として有名です。
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