■大谷祖廟・東大谷2(親鸞頂骨の分骨)

 

□浄興寺から東西本願寺への親鸞頂骨の分骨を史実と認めている盛岡大学長・加藤章氏論文

 

本堂の参拝を終えた後、階段を登って親鸞御廟へ。ここにもたくさんの人が参拝に来て、拝所で焼香をしている。賽銭箱のそばに焼香台があり、焼香ができるようになっている。私も焼香していると、本堂から僧侶が出仕してきて、御廟で読経がはじまった。本願寺とは、もともとは宗祖・親鸞の廟所から発展したもので、廟所は親鸞の代々の子孫の世襲になり、本願寺の起源になった。

しかし本願寺は、最初から今のような巨大教団だったわけではなく、本願寺教団を全国規模に拡大したのは、中興の祖・蓮如である。親鸞廟所が歳月を経るにしたがって本願寺に発展したということは、浄土真宗にとって、親鸞廟所は宗教的権威の源泉と言うべきものと言えよう。

ただし盛岡大学長・元上越教育大学長・上越市史編集委員長の加藤章氏は、本山浄興寺発刊の写真集「歓喜勇躍山浄興寺」の中の「浄興寺小史」と題する論文で、真宗本廟・東本願寺が所蔵する親鸞遺骨は、浄興寺から東本願寺へ分骨されたものであると、史実として書いている。

「浄興寺の宗教的権威を支えるものは、まず本寺(浄興寺)が宗祖親鸞の浄土真宗開教の道場であること。さらに最も崇敬される宗祖の頂骨を護持しつづけてきたことがあげられる。それに対し、親鸞の没後十年を経た文永9(1272)、浄興寺から48年おくれて本願寺が創建された。したがって、もともと本願寺と浄興寺の間には、本寺末寺の関係はなかったのである。しかし宗祖を同じくする同派であり、とかも宗祖親鸞の頂骨を浄興寺が安置することから、両寺の交流は深く、また真宗教団の発展に協力して貢献する歴史を有している。とくに本願寺の蓮如の宗門再興をかけて活躍した際や、顕如が大坂石山本願寺を拠点に織田信長と戦った石山合戦前後などは、浄興寺も積極的な援助を行っている」(浄興寺発刊の写真集「歓喜勇躍山浄興寺」p2223)

「その後、慶長7(1602)、本願寺が東西両派に分裂したことを契機に、浄興寺は十六世教善のとき、門末をあげて東本願寺を支持し、深い関係をもつに至った。東本願寺は、浄興寺をして客分一門として遇し、十六世教善、十七世宣性、十八世琢性の三代にわたって、()本願寺門主の息女を室に迎え、(東本願寺)門主の「猶子」として(東本願寺)門主の連枝と同等の待遇を受けている。また歴代の(浄興寺)住職は、修学をはじめ宗務のためにしばしば京都に赴き、本願寺との交流も深かった。このような近世初頭における本願寺との関係の中で注目すべきは、それまで宗祖の頂骨を独占してきた浄興寺の特権が、万治3(1660)、婚姻関係を理由に本願寺側からの強い要望に応えて、宗祖の頂骨および本願寺三世覚如以降、7人の門主の遺骨を分与したことである。そのことによって、本願寺は寛文10(1670)、東大谷本廟を創立し、名実ともに本山の条件を整えるに至った。」(浄興寺発刊の写真集「歓喜勇躍山浄興寺」p24)

東本願寺礼状1
















 

(東本願寺から浄興寺に宛てた分骨の礼状・浄興寺発刊の写真集「歓喜勇躍山浄興寺」)

浄興寺9




















 

(浄興寺・親鸞頂骨拝殿)

写真集・浄興寺1














































 

(浄興寺発刊の写真集「歓喜勇躍山浄興寺」)

 

 

□江戸初期に西本願寺から分立した東本願寺が元から親鸞頂骨を蔵していたとは考えられない

 

この論文「浄興寺小史」の中で、盛岡大学長・元上越教育大学長・上越市史編集委員長の加藤章氏は、「宗祖の頂骨を独占してきた浄興寺の特権が、万治3(1660)、婚姻関係を理由に本願寺側からの強い要望に応えて、宗祖の頂骨および本願寺三世覚如以降、7人の門主の遺骨を分与したことである」と、浄興寺から東本願寺への親鸞頂骨の分骨をはっきりと史実として書いている。なぜ浄興寺から親鸞頂骨が東本願寺に分骨されたのかについては、「婚姻関係を理由に本願寺側からの強い要望に応えて」と書いている。婚姻関係とは、浄興寺十六世教善、十七世宣性、十八世琢性の三代の住職(浄興寺門主)が、()本願寺門主の息女を室に迎えたことを指していると思われる。そもそも真宗本廟・東本願寺とは、江戸時代初期に徳川家康の寄進により、今の西本願寺から分立して開創した寺院・宗派である。したがって真宗本廟・東本願寺が開創当時から親鸞頂骨を蔵していたとは、考えにくいものがあり、加藤章氏の浄興寺親鸞頂骨説のほうが、はるかに説得力がある。もちろん浄興寺が格蔵している東本願寺から浄興寺に宛てた分骨の礼状が存在していることも挙げられよう。私も浄興寺から親鸞頂骨が東本願寺に分骨されたことは、ほぼ間違いない史実と見ています。しかし東大谷の門前にある「親鸞聖人墳墓の地(大谷祖廟)」と題する掲示には、浄興寺からの東本願寺への親鸞頂骨の分骨については、一言も触れていない。

祖廟3




















 

(大谷祖廟・東大谷)

祖廟6




















 

(東大谷の門前にある「親鸞聖人墳墓の地(大谷祖廟)」と題する掲示)

祖廟13




















 

(東大谷にある親鸞廟所)

祖廟12




















 

(東大谷・本堂)