■真宗・仏光寺3(法脈のパクリ)

 

□大石寺9日有が浄土真宗仏光寺派・専修寺派から輸入した「唯授一人の血脈相承」

 

ひきつづき、浄土真宗の歴史の概略、真宗専修寺派の「唯授一人口決」、真宗仏光寺派の「法脈」の概略については、井沢元彦氏の著書「逆説の日本史」8巻から要旨を引用してみたい。

----つまり親鸞の血脈を持たない僧侶も、仏光寺なら親鸞の「法脈」に連なることが可能になり、その法脈に連なることができるかどうかの認定権を仏光寺が握った。つまり仏光寺は、「法脈」の看板を与えて、師範にすることもできれば、住職に任命することもできる。又、逆に「破門」にすることもできるわけで、僧侶は「法脈」の絵系図という「免許」を得るために、仏光寺の忠実な奴僕になる。仏光寺は、信者が抱える不安に巧みにつけいり、「名帳」なる名前の「極楽往生決定者名簿」を作り上げて、信者の心をつかんだ。信者の不安とは、

「本当に自分は極楽往生が決定しているのか」「自分の信仰には誤りがないのか」という不安。

仏光寺はここに巧みにつけ込んで、親鸞以来の正しい教えを標榜する「法脈」の他に、「名帳」なる名前の「極楽往生決定者名簿」を作り、この名帳に名前が記された者は極楽往生が決定するとした。これが浄土真宗の信者の爆発的人気を呼び、われもわれもと仏光寺派に入信し、名帳に名前が記されることを願ったというわけである。

では仏光寺と同じ立場にあった専修寺では、どのように本願寺の血脈(親鸞直系の血筋・血統という意味)に対抗したのだろうか。この教派の代表的な僧は如道である。如道は次のように主張した。専修寺派の歴代住職は、親鸞から「唯授一人口決」を受け、親鸞と同格である、というのだ。

例えば剣術には免許皆伝という考えがある。これは師匠と同じ技量に達した、という意味だ。免許皆伝は技術の継承であるから、必ずしも師匠の子孫が受けるとは限らない。いくら実の子でも、技量が不足していてはどうにもならない。つまり、如道は、われわれ専修寺は親鸞から真宗の教義に関する「免許皆伝」を受けている、と言った。如道は親鸞からの「免許皆伝」は、専修寺の系統の僧だけに与えられた、とした。これが「唯授一人口決」である。これも実に巧みな作戦で、こうすれば本願寺は「ただの親鸞の子孫」に過ぎなくなり、「専修寺こそホンモノ」ということになる。如道は、「唯授一人口決」を受けた者(つまり如道自身)は、親鸞と同格になるとも言った。仏を念ずることによって、往生が決定した僧は、阿弥陀如来と同格であり、極楽もその胸のうちにある。したがって念仏も仏像を拝むことも、一切不要であり、逆に信者は仏ではなく、「仏と同格」であり身近にいる僧(もちろん専修寺の僧)こそを崇拝すべきだということになる。仏光寺の了源、専修寺の如道がなぜこんなことを言ったのかと言えば、こうすれば門徒がそれぞれの寺に集まり、教団が発展するからである。----(井沢元彦氏の著書「逆説の日本史」8巻要旨)

この仏光寺の「法脈」、高田専修寺の「唯授一人口決」は、今の日蓮正宗の「二箇相承」「唯授一人の血脈相承」を頂点とする教団システムに全く瓜二つ。そっくりなのである。

 

 

仏光寺や高田専修寺の最盛期とは、まさに1300年代後半~1400年代前半。大石寺9世日有が京都天奏の旅で、京都に行った時代のことである。仏光寺の最盛期は、高田専修寺とともに、当時の本願寺を大きく上回る寺勢を誇っていた。

□現在の浄土真宗・佛光寺派

□蓮教の系統の現在の浄土真宗・興正派

□東国や西国で近世以前に佛光寺教団から外れて本願寺教団に組み込まれた末寺

□明治期に興正派として独立した際に浄土真宗・本願寺派に留まった末寺

上記4流を合わせると、元の仏光寺の末寺は3000ヶ所以上に上るともいわれる。

まさに大石寺9世日有は浄土真宗・仏光寺派の「法脈」、浄土真宗専修寺派の「唯授一人口決」を模倣して、日蓮正宗大石寺門流の「二箇相承」「唯授一人血脈相承」なるものをでっち上げ、偽作したのである。

さらに仏光寺の「法脈」、高田専修寺の「唯授一人口決」が生んだものは、これに止まらない。再度、井沢元彦氏の著書「逆説の日本史」8巻から要旨を引用してみたい。

---教勢拡大が高じてくると、当時の言葉で「物取り信心、施物頼み」が流行する。物取り信心とは、寺の僧侶に金品をささげることである。しかしここで言う「物取り信心」とは、まともな寄付行為を超えた、異常なプレゼントをいう。そして「物取り」つまり信者側から金品を僧へ贈ることが、極楽往生の条件になってしまうことだ。つまり僧の側から見て、「あの信者はいつも多額の金品を寄進してくるから、『良い信者』であり、貧しくてそれができない人は『悪い信者』ということになってしまう。そして、信者側では贈り物競争が始まり、寺側では「大いに働いて、多額の金を教団に寄進しなさい。そうすれば極楽往生疑い無い」などと信者に強制することになる。「オウム」にせよ「法の華三法行」にせよ、他の怪しげな新興宗教にせよ、人間にはこういう習慣があるからこそ「栄えて」いるのだ。これを最大限に悪用したものを、われわれは「邪教」と呼ぶのだ。----(井沢元彦氏の著書「逆説の日本史」8巻要旨)

日蓮正宗大石寺9世法主日有(14021482・法主在職1419146714721482)は、当時、浄土真宗の中で大きな勢力を持っていた仏光寺派の根本教義である「法脈」、真宗専修寺派の「唯授一人口決」を輸入し、パクることによって、浄土真宗仏光寺派、浄土真宗専修寺派にあやかり、「二箇相承」「唯授一人血脈相承」を偽作して、大石寺門流の信者を増やそうとした。大石寺9世日有は、仏光寺派の「法脈」、真宗専修寺派の「唯授一人口決」をバクって「二箇相承」「唯授一人血脈相承」を偽作したが、同時に信者の贈り物競争、寺の信者に対する寄付強制まで輸入し、これによって大石寺門流が今日まで生きながらえたというのは、何とも皮肉な話しである。

仏光寺4寺務所
















仏光寺9
















 

(真宗仏光寺派本山・京都仏光寺)

9世日有4(諸記録)




















 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)