■法華本門寺根源(北山本門寺)14(山本門寺の日興正墓)

 

北山本門寺の開山堂の前を通って納骨塔に突き当たり、左に曲がって狭い道を歩いて行くと、「御廟所」にたどり着きます。ここに、日興の正墓、日蓮正墓遙拝廟、本門寺歴代貫首廟所があります。北山本門寺では、日興の正墓のことを、「日興上人御廟所」ないしは「日興上人御正所」と呼んでいます。

 

かつて北山本門寺には、本門宗総本山宗務院が置かれていましたが、これも日興の正墓がここにあったことが大きかったのではないか。

北山本門寺は、本門寺棟札や日蓮・生御影を表に出して言うが、本門寺棟札も日蓮・生御影も、富士門流八本山が共通して認めているものではない。

するとはやり富士門流八本山が共通して認めているものとなると、はやり日興の正墓ということになります。北山本門寺には、日興門流の開祖・日興の正墓があるからこそ、本門宗宗務院が置かれ、本門宗総本山と呼称されたということであろう。

 

そうすると、さぞや北山本門寺としては、日興の正墓を自山の権威付けに利用して、さも立派な廟に仕立て上げていることだろうと思うのだが、実際は、ぜんぜん違うのだから、驚いてしまいます。

北山本門寺の日興正墓というのは、それこそ数百年前からのままという感じになっていて、特に立派にしているとか、きちんと整備しているとか、そういう痕跡は全く見られません。

それどころか、墓掃除すらやっているんだろうかとすら思えてしまうくらいなのです。

北山本門寺2日興正墓2



少なくとも、日興という人物は、北山本門寺をはじめ、日蓮正宗大石寺、日興門流の開祖であるのに、こんなにも荒れ果てたというか、みずぼらしい墓のままにしておいているというのは、無宗教の私から見ても、まことに不思議というか、不審に見えます。

むしろ日興の正墓の周辺にある本門寺歴代廟のほうが、立派に見えてしまうくらいです。

 

それでも整備が行き届いていないとは言っても、日興の正墓であることには、変わりはない。

日興は北山本門寺で死去し、北山本門寺で葬儀が行われて荼毘に付され、北山本門寺に葬られた。

したがって、日蓮正宗の信者が、大石寺に日興の正墓があるなどと自称しているのは、真っ赤なウソである。日蓮正宗の信者は、日興が北山本門寺で死去したことすら知らず、大石寺で死去して、大石寺で葬られたなどと思っているのではないだろうか。

日興が北山本門寺で死去して、北山本門寺で荼毘に付されて、葬られたと言うことは、北山本門寺にある日興の墓が、正墓ということになります。当たり前のことです。

日蓮正宗の信者は、このことについて、疑問に想わないのだろうか。

 

しかも日蓮正宗の場合は、それにとどまらず、日興が北山本門寺で死去して、北山本門寺で荼毘に付されて、葬られたことを日蓮正宗の信者が知らないことをいいことに、日蓮正宗の僧侶が御講等々で、大石寺に日興の正墓があるかのような説法をして、信者を騙しているのである。


 

さらに最悪なのは、19823月に行われた日興650遠忌大法会では、客殿の法要のあと、墓参と称して大石寺67世阿部日顕法主は、大石寺の三師塔に詣でている。

大石寺の三師塔は、日蓮、日興、日目の墓ではない。墓参というなら、大石寺の三師塔ではなく、北山本門寺の日興正墓に詣でなくてはならないではないか。

 

これについては、日蓮や日目の場合も同じ。

198110月に行われた日蓮700遠忌大法会の墓参でも、198212月に行われた日目650遠忌法要でも、墓参と称して大石寺67世阿部日顕法主は、大石寺の三師塔に詣でている。

墓参というなら、日蓮700遠忌の場合は、身延山久遠寺の日蓮正墓へ行かなくてはならないはずだ。

日蓮・祖廟1


日目650遠忌の場合は、京都・鳥辺山の實報寺にある日目の正墓に詣でなくてはならないのではないのか。

なぜなら、日蓮、日興、日目の正墓は、大石寺にはなく、日蓮の正墓は身延山久遠寺にあり、日興の正墓は北山本門寺にあり、日目の正墓は、京都・鳥辺山の實報寺にあるからです。

實報寺12日目墓5


 

だいたい、大石寺法主は、4世日道以下の歴代法主の遠忌法要での墓参では、その法主の正墓に墓参しているのに、なぜ、日蓮、日興、日目の遠忌法要の墓参では、正墓に墓参しないのか。

 

まことに矛盾に満ちた話しである。