■石山本願寺跡(大阪城公園)1(広い大阪城公園)

 

□今の大阪城本丸・二の丸周辺にあったと推定されている浄土真宗・石山(大坂)本願寺

 

現在、大阪府大阪市の大阪城公園は、かつて石山本願寺があった所と伝承されている。

石山本願寺(いしやまほんがんじ)とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて、現在の大阪府大阪市中央区大阪城付近にあった浄土真宗の寺院、城郭で、正しくは大坂本願寺という。天文2年(1533年)に本願寺教団の本山となって発展し、戦国時代の一大大名・勢力となった。しかし織田信長との石山合戦(石山本願寺戦争)の末、天正8年(1580年)に顕如が石山本願寺を織田信長に明け渡し、その直後に全焼し消滅した。その後、豊臣秀吉が大坂城を築城したとされる。

その豊臣秀吉が築いた大坂城は、1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で落城、焼亡。豊臣氏は滅亡した。その後、徳川幕府が大坂城を再建。江戸時代にはたびたび火災による損傷と修復を繰り返し、1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失している。慶応413日(1868127日)、旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって出火。建造物のほとんどが焼失した。

現在の天守閣は、1930年(昭和5年)に再建工事が始まり、翌年に完成したもの。大坂城といえば豊臣秀吉であり、淀君、豊臣秀頼自刃の地として有名であり、石山本願寺を連想する人は皆無ではなかろうか。石山本願寺戦争ののち、豊臣秀吉が本願寺に京都の地を寄進。これが現在の西本願寺である。東本願寺は、江戸時代初期、徳川家康が、本願寺を退出した教如に寄進した土地に建立された寺院である。徳川家康は、巨大宗教勢力だった本願寺教団を東西に二分割する政策をとったとする説が、歴史の通説になっている。

石山本願寺が、どういう伽藍・堂宇があり、どれだけの僧侶がいて、どれだけの門前街があったのか等についての記録はほとんど残っていない。石山本願寺は、顕如の退去後、炎上して焼失。この時に、記録文書等々も焼失してしまったのではないかと思われる。ここに親鸞廟があったかどうかも不明。仮にあったとしても、顕如退出後、石山本願寺が焼亡してしまっていることからして、親鸞廟も焼失したのではないかと思われる。こういったことから、後に西本願寺が、高田・浄興寺から親鸞遺骨の分骨を受けて、浄興寺に礼状を出しているのではないかと推測される。

石山本願寺焼亡後、大坂城を築城した豊臣秀吉は、なかなか世継ぎに恵まれず、50才を過ぎてからようやく秀頼が生まれる。秀頼が生まれたことにより、秀吉の養子で次代関白の豊臣秀次は、高野山に蟄居させられ、その地で切腹。太閤秀吉も1598年に死去。秀頼が家督を相続するが、少年の秀頼に天下は統率できず、豊臣秀吉亡き後は、徳川家康の世になった。その豊臣秀頼は、大坂の陣に敗北。大坂夏の陣で自刃し、豊臣家は滅亡した。この地は、なかなか縁起が悪い地のようである。

 

 

□紫禁城、バチカン市国、東京ディズニーランドよりもはるかに広い石山本願寺跡・大阪城公園

 

かつての石山本願寺の跡地である大阪城一帯は、大阪城公園として整備されている。面積は105.5ha。皇居の142haよりはわずかに小さいが、一般公開されている部分は、大阪城公園のほうが広いため、歩いていると大阪城公園のほうが皇居よりも広く感じる。他と比較すると

72.5ha北京・紫禁城   58.3ha新宿御苑

54haユニバーサル・スタジオ・ジャパン  代々木公園

52ha東京ディズニーランド  44ha北京・天安門広場   バチカン市国

バチカン市国や北京の紫禁城よりも、大阪城公園のほうが広いというのは、以外に感じる。ただし紫禁城、中南海、天安門広場を合計すると、大阪城公園のほうが小さくなる。最寄り駅のJR大阪城公園から大阪城天守閣まで歩いて行くと、かなりの距離を歩いて行かねばならない。

JR大阪城公園駅とは、JR大阪駅からJR大阪環状線外回りの電車に乗って四つめの駅になる。

場所的には、大阪城公園の東端にあたり、駅の東側には、JR西日本・森ノ宮電車区のほか、大阪市営地下鉄 森之宮車両管理事務所(旧森之宮車両工場)、森之宮検車場が広がっている。

大阪環状線外回りのホームから、森ノ宮電車区に出入りする電車が見える。この駅に行くのは、大阪城天守閣・大阪城公園に行くためですが、ガイドブック等々を見ると、大阪城公園の最寄り駅としては、この大阪城公園駅の他に、森ノ宮駅、JR東西線・大阪城北詰駅、地下鉄・谷町四丁目駅、地下鉄・大阪ビジネスパーク駅、地下鉄・天満橋駅等々が書いてあります。大阪城天守閣に行くときは、谷町四丁目駅か天満橋駅のほうが近いのかもしれませんが、私が大阪城公園に行くときは、どうしてもこの「大阪城公園駅」から行きますね。

たしか、西の丸庭園あたりで「ここから一番近い駅はどこになりますか」と係員に聞いたところ、「うーん」と考えたあげく「大阪城公園駅じゃないですか」との返事が返ってきたことがある。西の丸庭園からだったら、谷町四丁目駅か天満橋駅が近いんじゃないかな、と思ったんですが、しかし係員の返事は、大阪城公園駅。大阪城公園駅から大阪城天守閣に行くとなると、駅から大阪城ホールのたもとを抜けて青屋門をくぐり、大阪城の内堀を右手に見ながら歩いて行き、豊国神社の前を通って桜門をくぐり、蛸石の前を通って天守閣に出る。大阪城公園駅から大阪城天守閣にたどりつくまで、徒歩で20分以上かかるような気がします。ウォーキングには、もってこいのコースですが。天守閣やら大阪城公園内をあっちこっち歩き回って、くたくたに疲れ、西の丸庭園と言えば、天守閣をはさんで、大阪城公園駅とは反対側。「なるべくはやく駅にたどり着きたいな」と思っていたところに、ここから一番近い駅が大阪城公園駅という返事を聞いたときは、がっくりきました。

大阪城公園43
















大阪城公園45
















 

(大阪城公園)

大阪城8














































大阪城9
















 

(大阪城天守閣)

大阪城公園13














































 

(南無阿弥陀仏石碑)