■石山本願寺跡(大阪城公園)2(大阪城天守閣)

 

□日本人観光客の他、中国、台湾、韓国から来たと思われる団体客が大幅に増えた大阪城

 

石山本願寺跡・大阪城公園に行く最寄り駅は、JR大阪城公園駅になる。大阪城公園に行ったら、石山本願寺跡もさることながら、大阪城天守閣に足が向いてしまう。大阪の象徴と言ったら、やはりこれ。大阪城・天守閣でしょうね。今まで、大阪には幾度となく行っているのですが、大阪城天守閣にも、何度も足を運んでいます。最初にここを訪れたのは、たしか中学生の修学旅行の時だったと思います。その後、大学生のとき、卒業後も大阪に来たときには、何度も来ています。

201010月に大阪に行ったときも、大阪城天守閣に行きました。もちろん、大阪に行ったときは、必ず大阪城天守閣に行っているというわけではありませんが、やはり大阪に行くと、どうしてもここに足が向いてしまう。一回、大阪城に行かなかったことがあると、「次回は、大阪城に行こう」と思い、どうしても足が大阪城に行ってしまう。足が向いてしまうとは言っても、大阪城公園駅から大阪城天守閣までは、大阪城公園の中をひたすら歩いて行くと、およそ2025分はかかる。

歩くとは言っても、私の場合は、大阪城公園の中をいろいろ眺めたり、写真を撮りながら歩くので、実際には30分以上かかっているのではないかと思う。

大阪城天守閣の外観、天守閣の周りは、昔からさほど変わっていないような気がします。

ベンチや写真撮影の所。売店。城郭。石垣。門。天守閣入り口。昔、来たときも、こんな感じだったような気がします。そして、いつ来ても、老若男女、たくさんの人が大阪城天守閣を訪れています。それは平日も土日祝日も関係なく、たくさんの人が来ています。201010月に大阪城天守閣に行ったのも平日の昼間でしたが、たくさんの人が来ていました。どちらかというと中高年の人が多かったように思いましたが、若い男女、家族連れもたくさん居ました。又、目立ったのは、中国、台湾、韓国から来たと思われる団体客。それから欧米人。欧米人は昔から居たような気がしますが、中国・韓国からの観光客は、ここ十年くらいの間のことではないでしょうか。日本人のみならず、外国人観光客にとっても、大阪における一大観光スポットになっているようです。

8階建ての大阪城天守閣の中は、博物館のようになっていて、展示が並んでいる。3F4Fは、豊臣秀吉の時代の大坂城にスポットを当てており、大阪城天守閣の収蔵品の中から、貴重な歴史資料の実物を展示している。5Fは、国の重要文化財「大阪夏の陣図併風」に描かれている各場面を解説。7Fは、豊臣秀吉の生涯を映像、模型、パネルを使って解説している。

大阪城を築いたのはもちろん豊臣秀吉だが、豊臣氏滅亡後は、徳川幕府の大坂城代が住んでいた。大阪城天守閣内にある、さまざまな解説を読んでいると、今の大阪城の遺構は、豊臣秀吉の時代の大坂城というよりも、徳川家康の時代の大坂城の遺構が大半のようである。

しかし、大阪城天守閣内の展示は、なんといっても豊臣秀吉の時代のものが大半。当たり前のことかもしれないが。

 

 

201010月に、大阪城天守閣に行ったときは、中高年の観光客の姿が目立っていたのですが、中国人や韓国人観光客がこれらの展示を食い入るように見学していた。中には、禁止されているはずの展示物の写真撮影をしている中国人?観光客もいた。こういう展示もいいのですが、最大の見所は、8Fの展望台からの眺めではないでしょうか。この大阪城天守閣の展望台の高さは地上50メートル。ちなみに東京タワーの大展望台は1階が145m2階が150mとなっているが、見る眺めは、大阪城天守閣からの眺めのほうが、はるかに絶景。大阪城全体と大阪の町並みを一望できる。「さすがは、大阪のシンボルだな」と思う。

東京タワーの場合は、周囲に高いビルが林立してしまっていて、眺めがビルによって遮られてしまう。ところで、この大阪城天守閣は、1928年(昭和3年)、大阪市長・關一によって再建が提唱され、市民の寄付金により1931年(昭和6年)に竣工。この市民の寄付には、およそ半年で目標額の150万円(現在の600億から700億円に相当する)が集まったという。豊臣時代・徳川時代の天守がいずれも焼失したのに比べ、昭和の天守は建設後80年を迎え、第二次世界大戦の空襲にも耐えて生き残り、最も長命の天守になった。1997年(平成9年)93日、国の登録有形文化財に登録されている。

もうひとつの大阪城天守閣の見どころは、桜門枡形の巨石で、通称「蛸石」と呼ばれる巨石。

正確に言えば、天守閣ではないのですが、天守閣への入り口である桜門から入った突き当たりにある。築造は寛永元年(1624年)岡山藩主池田忠雄(姫路の池田輝政の三男)が担当したもので、備前(岡山県)産の良質花崗岩が用いられている。大阪城内第一の巨石で、およそ36畳敷(60m2)推定質量130tもあるという。間近で見ると、その巨大さに圧倒されてしまいます。

大阪城天守閣に行くときは、かならずこの蛸石の前を通っているのですが、見る度に、まさに圧倒されます。

大阪城公園の中に、豊臣秀吉秀吉のほか豊臣秀頼、豊臣秀長を祭神としている豊国神社がある。豊国神社という神社は、大阪城公園のみならず、京都市東山区、金沢市、名古屋市、大垣市、長浜市、広島県宮島にあるという。大阪城は豊臣秀吉が築いた城だから、大阪城公園内にあって当たり前のように思ってしまいがちだが、歴史的経緯を考えてみると、「なぜここに?」と思ってしまう。

なぜなら、大坂夏の陣で徳川幕府が豊臣氏を滅亡させ、徳川幕府が倒れるまでの260年間、大阪城には、大坂城代がいたわけだから、そもそも徳川幕府が、豊臣秀吉を祀る豊国神社など許すはずがない。そこでこちらで調べてみたら、大阪の豊国神社は、1868(明治1)年に明治天皇から建立の御沙汰があり、明治12年(1879年)11月 京都市の豊国神社の別社として創建されたもの。しかも当初は、大阪市の中之島にあった。それが大阪城公園内に移ったのは、昭和36年(1961年)のこと。しかも、豊臣秀吉像が復元されたのは2007年(平成19年)4月。

201010月に大阪城天守閣・大阪城公園に行ったときは、豊国神社にも行きました。

私が行ったとき、ちょうど豊国神社で結婚式を挙げている両家がおられました。

大阪城公園43
















大阪城公園45
















 

(大阪城公園)

大阪城19
















大阪城17
















大阪城12
















 

(大阪城天守閣)

大阪城公園37
















 

(蛸石)

豊国神社3















豊国神社1
















 

(豊国神社)