■石山本願寺跡(大阪城公園)4(大阪旅紀行2)
□かつては大渋滞の名所で大幅な時間がかかっていた京都~大阪の名神高速・国道1号線
私が大阪の交通が不便だな、と感じるのは、東海道新幹線のターミナル駅であるJR新大阪駅からJR大阪環状線に乗れないこと。JR大阪環状線に乗るには、新大阪駅で在来線電車に乗り、1駅となりのJR大阪駅に出て、そこでJR大阪環状線に乗り換えなくてはならない。これが私にとって、とても不便に感じる。東京の場合、新幹線駅がある東京、品川、上野のどの駅からもJR山手線に乗れるのとは対照的に見える。JR新大阪駅もJR大阪駅も、近年、リニューアル工事が行われ、みちがえるようにきれいになり、美化され、便利になった。2045年開業をめざして東京~大阪に中央リニア新幹線を通す計画が進んでおり、2015年から東京~名古屋の工事がはじまる。東京都内のリニア駅は、品川駅にできることが決まっている。大阪府内のリニア駅は、どこになるのだろうか。品川も名古屋も、リニア駅は大深度地下に建設されるというのだが、大阪府内のリニア駅も大深度地下に建設するのなら、JR大阪駅に建設したほうが利便性が高いと思うが、どうなのだろうか。しかしリニア大阪開業の2045年のころは、私も優に80才を超えているから、実際に私がリニアに乗れるかどうか、リニアに乗って大阪に行けるかどうかもわからないのだが…。
今は、私は東京~大阪の移動は、もっぱら東海道新幹線「のぞみ」号での移動なのだが、若い頃は自家用車に乗って、東名・名神高速道路をかっ飛ばして大阪に行っていた。あの当時は、ETCもなく、全て現金払いで高速料金を支払っていた。1990年代のころは、高速道路用のプリペイドカードを買って、使ったこともあった。東京から東名高速道路を大阪方面に向かってかっ飛ばして行くと、米原JCTで北陸高速道路と名神高速が合流する。1990年代のころは、名神高速の米原JCTから大阪市内まで大渋滞だった。あのころは、東名阪道も新名神も名神・京滋バイパスもなし。名古屋~京都~大阪の大動脈は、名神高速だけだった。しかも名神高速は、片側2車線の上下4車線道路で、そこへ米原JCTで北陸高速道路と合流して、北陸道から大量の乗用車、バス、トラックが流入してくるわけだから、米原JCT~大阪が渋滞しないはずがない。米原JCTから名神高速はノロノロ運転。深夜に東名・名神をかっ飛ばして行ったこともあったが、深夜の時間帯でも、名神高速の米原JCTから大阪方面は渋滞していた。
特に昼間の渋滞はひどく、高速道路がなかなか進まないのに、しびれをきらし、「この渋滞はひどいな」と思って、京都東ICで名神高速を出て、国道1号線に入ったこともあったが、その国道1号線もまた大渋滞。あの当時は、京都~大阪の間は、名神高速も国道1号線も両方が大渋滞だった。そういうことを思えば、今は名神高速の他に、東名阪道、新名神、名神・京滋バイパスが開通していて、車でもスムーズに大阪に行けるようになった。2010~2014年にかけて、私は北陸の実家から、自家用車に乗って北陸道~米原JCT~名神・京滋バイパスで京都・大阪へ行ったことが何度かあるが、昔のような渋滞は全くなく、実にスムーズに車が流れていた。
□指定席特急券を買わずに特急列車の指定席に平気で座るワルがたくさんいた高度成長時代
2000年以降は、北陸の実家から自家用車で京都・大阪に行ったことはあるが、東京から京都・大阪へ行く場合は、もっぱら東海道新幹線「のぞみ」号を利用している。なぜ北陸から自家用車で大阪に行ったのかというと、私の自家用車は実家の車庫に停めっぱなしになっているから。東京では有料で車庫を借りなくてはならないが、実家の車庫に停めておけば、駐車場代はタダである。それと、その時は父親と二人で車に乗って京都・大阪へ行ったということがあった。あの当時でも、私の父親は足が悪く、歩行困難な状態で、在来線特急電車での移動は無理だったという事情もあった。では北陸から関西方面に行くときは、いつも自家用車なのかというと、そうではなく、金沢駅から特急「サンダーバード」号で大阪に行ったこともある。東京から行くにしても、北陸から行くにしても、車を使うより、新幹線・特急電車を使った方が、時間が早く到着できるし、車を運転しなくてもいいので、体力的にも相当、楽である。金沢から大阪まで特急「サンダーバード」号で約2時間半。金沢から大阪まで北陸道・名神高速を使っても2時間半では着けない。少なくとも3時間以上はかかる。だから北陸方面から大阪へ行く特急「サンダーバード」号は車や高速バスとの競争に勝つ、数少ない在来線特急で、金沢~大阪を今も定期列車が23往復も運行されている。
金沢・富山は、東京・関東との交通よりも、京都・大阪・関西との交通のほうが、昔から頻繁である。私は子どもの頃から、父母に連れられて家族旅行で大阪に来ていたが、小学六年生の時、貯金していたお小遣いを使って、金沢駅から特急雷鳥号の指定席に乗って大阪を往復したことがある。あの当時は、JRではなく、国鉄時代だったが、すでに「みどりの窓口」はあった。「みどりの窓口」で乗車券と指定席特急券を買ったが、係員からは何も言われなかった。大人の代理できっぷを買いに来たと思ったのだろうか。
それと今でも憶えているが、指定席の車掌の車内改札がはじまると、ゾロゾロと席を立って、他の車両に移って行く乗客が何人もいた。子供心にでも、それらの乗客は、指定席特急券を買っていない乗客だということがわかり、とても怖い思いをしたことを憶えている。今は新幹線や在来線特急の指定席に乗っても、車掌の車内改札がはじまったとたんに、ゾロゾロと席を立つ乗客はほとんど見かけなくなった。たまに見かけますかね。私が小学六年生のころといえば、日本が高度経済成長の時代だったころのこと。あの時代は、今と違ってかなり荒れた時代だったから、指定席特急券を買わずに、平気で指定席に座ろうとするワルがたくさんいたのだろうか。それとも「指定席」という文化がまだ定着していなかったのだろうか。しかし小学六年生の時に、特急列車の中で怖い思いをしたにもかかわらず、全く懲りずに大人になってからも、新幹線や在来線特急に乗って、旅を続けているというわけである。
(特急「サンダーバード」号)
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