■真宗木辺派・錦織寺2(御影堂・阿弥陀堂・真宗教団連合)

 

□「教行信証」完成の喜びを門弟の請いによって描いた自画像「満足の御影」を祀る御影堂

 

浄土真宗本山寺院に行くと、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂(本堂)と、宗祖・親鸞を祀る御影堂の二堂が並んで建っていることが、共通点として挙げられる。これは木辺派本山・錦織寺も同じなのだが、ただし錦織寺の場合は、この二堂に加えて毘沙門天を祀る天安堂があり、三堂が並んで建っている。阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂(本堂)と宗祖木像を祀る御影堂の二堂が並んで建つのは、浄土宗総本山・知恩院も同じ。さらに言うと、日蓮宗寺院では、本尊の釈迦如来を祀る本堂と宗祖日蓮を祀る御影堂の二堂が並んで建っているが、堂宇の建て方がこれまた浄土真宗によく似ている。さて堂宇に参拝してみようと、まずは天安堂へ。ところがここは閉扉されていて、ここに参拝するには、錦織寺宗務庁に申し出なければならないとの案内板が出ている。「なんだか閉鎖的なことが書いてあるなあ。日蓮正宗系や不受不施派と似たことが書いてあるなあ」と思い、ちょっと私の中では、印象が悪くなった。それにしてもなぜ浄土真宗の本山に、毘沙門天を祀る堂宇があるのか、という話しになるのだが、錦織寺が発行している「お念仏のふるさと・錦織寺」「真宗木辺派・本山錦織寺」と題するパンフにその答えが書いてあった。

そもそも錦織寺の起源は、天安2(858)、比叡山延暦寺三代座主・慈覚大師円仁の命で、この木部の地に御堂が建てられ、毘沙門天が祀られたことに由来するという。それから三百数十年後に、親鸞が関東から京都へ帰ろうとする途中、この毘沙門天が祀られた天安堂に留まった。そして親鸞は、茨城県霞ヶ浦の湖中から感得したと伝承する阿弥陀如来像を祀り、浄土真宗の教えを説いた。この縁由により、琵琶湖東側地域における浄土真宗の拠点になったという。

親鸞が木部滞在の最中の歴任元年(1238)、天女が蓮の糸で織った紫紅の錦が仏前に供えられ、これを四条天皇に献上したところ、「天神護法錦織之寺」との勅額を受けたとの寺伝がある。これが天神護法院錦織寺の寺号の由来であるとのことだが、天女の寺伝が本当かどうかは定かではない。科学的にはとてもあり得ない話しだが、こういう古来からの伝承・伝説は、錦織寺に限らず、日本全国各地の仏教寺院によくある話しではある。親鸞は木部滞在中に、浄土真宗根本聖典の「教行信証」の中の「真仏土の巻」と「化身土の巻」を述作したと伝承するが、嘉禎3(1237)4月中旬、「教行信証」完成の喜びを門弟の請いによって、真正面に自画像を描いた。それが現在、錦織寺御影堂に祀られる「満足の御影」だという。私が錦織寺に行った日は、御影堂では参拝門徒を集めて僧侶の説法会が行われていた。御影堂の戸は閉め切られていて参拝は不可。しかたがないので、隣の阿弥陀堂へ参拝。ただし阿弥陀堂の戸が開いていたわけでもなく、ここも閉まってはいたが、鍵がかかっておらず、戸を開けて中に入っていった。阿弥陀堂の中に入ると、正面に阿弥陀如来の座像が祀られているのは、わかったが、堂宇の中が暗くてよく見えない。

 

 

□浄土真宗十派がつくる親鸞を宗祖と仰ぐ御同朋の連合体・真宗教団連合に加盟する木辺派

 

阿弥陀堂の中は、そんなには広いとは感じないくらいの広さ。人数としては、あまり入れないのではないだろうか。中央に祀られている阿弥陀如来像は、親鸞が茨城県霞ヶ浦の湖中から感得したと伝承する阿弥陀如来像で、18(54センチ)の坐像になっている。私が見た阿弥陀如来像とは大半が立像で、坐像の阿弥陀如来像とは珍しいのではないだろうか。この阿弥陀如来像は、元禄7(1694)の大火で焼けただれたが、平成20(2008)11月に修復されたという。

それと、賽銭箱が堂宇の外ではなく、堂宇の中の外陣最前列にあるのが特徴的。とはいっても、浄土真宗寺院の場合、東西本願寺も仏光寺も興正寺も同じ。なぜこうなっているのだろうか。

さて錦織寺表門の前に、真宗教団連合に加盟する浄土真宗十派の案内板が立てられているとおり、真宗木辺派も真宗教団連合に加盟している。では真宗教団連合とは一体何なのか。

真宗教団連合公式ウエブサイトには、こう書いてある。

「親鸞聖人は、真宗教団立教開宗の根本聖典である主著『教行信証』で、「真実の教は、浄土真宗である」と述べておられます。その浄土真宗を信奉する教団は、いろいろの歴史的な事情から、現在では十派に分流しておりますが、それは本願寺派(西本願寺)・大谷派(東本願寺)・高田派(専修寺)・佛光寺派(佛光寺)・興正派(興正寺)・木辺派(錦織寺)・出雲路派(毫摂寺)・誠照寺派(誠照寺)・三門徒派(専照寺)・山元派(證誠寺)であります。しかし、その源はすべて親鸞聖人に帰一し、聖人を宗祖と仰ぐ御同朋の教団でありますから、各教団がそれぞれの枠を乗り越え、大同団結をしてこの不安と混迷の現代社会において、浄土真宗の教えと立場を鮮明にするための行動する組織体が「真宗教団連合」であります。この連合は結成以来、この目的実現をめざして、教団共通のあらゆる分野において、着々と成果をあげつつありますが、さらに全真宗の僧侶、門信徒が手をつなぎ「世の中安穏なれ、仏法弘まれ」と、限りなき前進を続けるよう活動しております。」

「源はすべて親鸞聖人に帰一し、聖人を宗祖と仰ぐ御同朋の教団」である浄土真宗十派が「浄土真宗の教えと立場を鮮明にするための行動」「目的実現」「全真宗の僧侶、門信徒が手をつなぎ「世の中安穏なれ、仏法弘まれ」と、限りなき前進を続けるよう活動」とあるように、十派がバラバラになったり、お互いが対立したりすることなく、連合して活動する組織体ということである。

つまり浄土真宗十派は、「真宗教団連合」という連合体で、ひとつにまとまっているということである。これはなかなか興味深い団体ですね。これを模倣しているのかどうかは知らないが、日蓮を宗祖とする宗派の間でも「宗祖日蓮のもとに大同団結」を叫ぶ運動が行われたことがあり、今もそれを提唱している人がいると聞く。「浄土真宗十派の連合体」と聞くと、これと対照的な姿として思い出すのが、日蓮正宗、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗系」である。「日蓮正宗系」も親元・本家本元の日蓮正宗から、どれだけの分派が生まれているだろうか。日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会、富士門流執着軍団の他、おそらく細かい分派も加えたら、十派以上あるのではなかろうか。しかもお互いが反目、抗争に次ぐ抗争の連続の日蓮正宗系。少しは、浄土真宗十派を見習った方がいいと思うが、どうだろうか。

錦織寺33





















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錦織寺32




















 

(錦織寺御影堂)


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錦織寺28




















 

(錦織寺阿弥陀堂)


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(錦織寺阿弥陀堂内部)


錦織寺4




















 

(浄土真宗十派案内板)