■真宗木辺派・錦織寺3(真宗教団連合・十派のちがい)

 

□本尊・教義は同じで歴史・御影堂の読み方・正信偈読誦の和音に違いがある浄土真宗十派

 

浄土真宗が十派に分かれているが、本尊、教義、化儀に違いはあるのか、ないのか。部外者から見ると、そこの所がわかりにくく見える。錦織寺は真宗木辺派の本山で、境内に宗務庁があるので、そこの職員に質問してみようと宗務庁を訪ねた。話しをいろいろと聞くよりも、錦織寺が公式に出版している書籍があれば手っ取り早い。そこで宗務庁の職員に「錦織寺が公式に出版している本はありませんか」と尋ねると、「ありますよ」との返事。それで職員があっちこっちの書棚を探したのだが、一般向けに出しているという書籍がなかなか見つからない。見つからないので、代わりに錦織寺が出している小冊子とパンフをもらった。そこで宗務庁の職員に質問してみることにした。

----浄土真宗十派の本尊、教義、化儀はどこがちがうのですか

「いいえ、十派にちがいはありません。同じですよ。ちがっていたら大変です」

----では十派に、全く違いはないのですか。ちがいがないのなら、どうして十派に分かれているのですか。

「んー、まあ、ちがいといえば、歴史がちがうとか、政治的にちがうとか、あるいは『御影堂』を『みえいどう』と読むのか、『ごえいどう』と読むのか、といった違いでしょうかねえ。あとは、正信偈を読むフシがちがいます」

----和音のことですね。

「そうです。正信偈を読むときは、フシをつけて読むんですね。いわば、これは音楽です。このフシが本願寺派(西本願寺)や大谷派(東本願寺)とは、ちがうんです」

----本願寺派(西本願寺)や大谷派(東本願寺)とのちがいと言えば、本願寺派、大谷派の門首猊下は、宗祖親鸞聖人の直系のご子孫の方ですよね。

「そうですね。錦織寺の代々の門主猊下は、宗祖親鸞聖人のお弟子のご子孫の方だったのですが、途中で血統が途切れて、西本願寺から門主をお迎えしたりしているのです」

ところでこの質疑応答の中、私が門首を「もんす」(monsu)と発音したところ、宗務庁の職員の方から、木辺派は「門主」を「もんじゅ」(monju)とお呼びするとの指摘をいただいた。大谷派は「門首」、本願寺派、仏光寺派、興正派、木辺派は「門主」。国語辞典を調べてみると「門主」も「門首」も、どちらも読み方は、「もんしゅ」(monshu)と載っていた。木辺派では「もんしゅ」(monshu)を「もんじゅ」(monju)と発音しているのだろうか。

正信偈(しょうしんげ)とは、正式には「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といい、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文のこと。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」という。親鸞述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如によって僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定されて以降、現在も勤行や法要の時に読誦されている。

 

 

□私の質問に対して実に明快ではっきりと回答した真宗木辺派本山錦織寺宗務庁の職員の方

 

和音というのは、浄土真宗の勤行・法要の時に正信偈を読誦するときの、独特のフシである。私の実家は、古来から浄土真宗大谷派で、毎月の月命日の時は、大谷派寺院住職が来ていて、正信偈の和音を聞いて育った。まさに和音は、浄土真宗が生み出した、古来の音楽という言い方がピタリとあてはまると思う。私の子どもの頃、実家の月参りに来ていた大谷派住職の和音は、実にきれいなフシが決まった和音であった。大谷派の和音は、私のような信仰心に欠ける世間一般人でも聞いていてわかるくらいの、おおきなフシをつけて正信偈を読誦する。私は、子どもの頃には、当たり前のように和音を聞いていたが、社会人になって仏教のことをいろいろと研究して行くうちに、「住職は、この和音のフシをどうやって憶えたのだろうか。日々の修行で憶えたのかな」と思うようになった。大谷派が出している正信偈の経本には、和音のフシをつける記号がふられている。が、これだけで正信偈の和音を憶えることは、不可能に近い。やはり和音を体得するには、毎日のように正信偈を読誦して憶えるしかないのではないかなと思う。

今でこそ、一般庶民にも演歌からポップス、ロック、フォークソング、ソウルなどのさまざまな音楽が定着しているが、上古の昔の音楽といえば、琵琶法師の琵琶、民謡等、限られたものしかなかった。和音も音楽のひとつ。浄土真宗が、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸時代にかけて、一般庶民に定着した大きな要素の一つではないかと思う。今は日本文化として深く庶民に定着している、真夏の盆踊りも、その起源は「念仏踊り」だと言われている。

浄土真宗に共通する特色として「世襲制」ということがある。有名なのは、京都・西本願寺の門主、東本願寺の門首は、宗祖親鸞の直系の子孫のみが代々継承していく世襲制であること。親鸞の子孫は、大谷姓を名乗っていて、これは西本願寺も東本願寺も、その他の本願寺の分派も共通している。世襲制は門首・門主に限らず、末寺、別院の住職も、代々の世襲制になっている。浄土真宗各派が世襲制をとっているのは、宗祖親鸞が女犯・妻帯して子どもをもうけたことが起源になっているものと考えられる。日蓮宗、浄土宗、曹洞宗、臨済宗、天台宗、真言宗などの他宗派も、明治維新以降は、妻帯して子どもをもうけるのが一般化し、僧侶の子弟が出家・得度して僧侶になり、長じて寺院住職になるケースが多くなってきてはいるが、浄土真宗の世襲制とは意味が異なる。

------木辺派の末寺は全国にどれくらいあるのですか。

「今は200ぐらいですね。ただ歴史的な経緯で、寺院数は減ってきてはいるんですけどねえ」

-----かなり大きな宗派なんですね

「いえいえ、本願寺派とか大谷派に比べたら小さいですよ。あっちは寺院数、僧侶数が1万とか2万とか、ケタがちがいますよ」

私の質問に対する真宗木辺派本山錦織寺宗務庁の職員の方の回答は、実に明快で、はっきりとした回答でありました。

錦織寺2




















 

(錦織寺表門)


錦織寺3




















 

(表門案内板)


錦織寺4




















 

(浄土真宗十派案内板)


錦織寺8





















 

(木辺派宗務庁)