■高野山金剛峯寺3(20145月の高野山旅紀行3)

 

□子院117ヶ寺・人口三千人の日本随一の巨大宗教都市・高野山真言宗総本山・高野山

 

女人堂の先に「高野山」「金剛峯寺」と書かれた巨大石碑のような門が建つ。ここからが広大な高野山金剛峯寺エリアに入る。もともと金剛峯寺という名前は、高野山真言宗の総本山である高野山の巨大な宗教都市全体を金剛峯寺と総称していた。現在は、明治2年(1869年)329日、興山寺(こうざんじ)と豊臣秀吉が建てた青厳寺(せいがんじ)を合併して金剛峯寺と改称した。今の金剛峯寺との名前の寺院は、江戸時代まで青厳寺(せいがんじ)と称していた寺院である。

豊臣秀吉は、当初は高野山に寺領の返還を迫るなど圧力をかけたが、当時、高野山にいた武士出身の僧・木食応其が仲介者となって高野山が豊臣秀吉に服従を誓ったため、石高は大幅に減らされたものの、高野山は存続することができた。のちに豊臣秀吉は木食応其に帰依するようになり、寺領を寄進し、亡母の菩提のため、山内に青巌寺を建てた。これが今の高野山真言宗総本山金剛峯寺の前身である。

もともと高野山とは、弘仁7(816)、弘法大師空海が嵯峨天皇に上奏して、この地を下賜され、金堂をはじめとする諸堂の建立に着手。高野山一山の宗教伽藍・堂宇一帯全てを「金剛峯寺」と号したのが、はじまりである。「金剛峯寺」という寺号は、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。明治2年にできた旧青厳寺(せいがんじ)の金剛峯寺は、高野山真言宗全国約3600余の末寺を統括する宗務を執る。高野山駅から南海りんかんバスで高野山に入っていくと、女人堂の先の門から高野山エリアに入るのだが、ここは正門ではない。高野山一山の正門は、大門とよばれる巨大な門で、ここが高野山一山の総門である。ここに行くには、高野山駅前から南海りんかんバスに乗って終点で下車。距離にして約3キロ。ただしバスに乗ると、高野山エリアに入り、千手院からまわっていくので4.5キロくらい走る遠回りになる。

大門には「高野山」の額が掲げられている。現在の大門は宝永2(1705)の再建。弘法大師入定1150年遠忌記念事業で、53ヶ月をかけて解体修理が行われ、1986(昭和61)年に完成した。

通称、高野山とよばれる所は、1000m級の8つの山々に囲まれた標高800mほどの盆地のこと。弘法大師空海が、ここを修行道場に選んだ理由は、8つの山々に囲まれた光景がまるで、巨大な蓮華の花の中にあるように見えたからだと伝承する。それ故か、高野山は八葉蓮華と称される。

高野山には、52ヶ所の宿泊施設・宿坊があり、人口は約3500人。そのうち、700人前後が僧侶だという。食事処は、金剛峯寺~千手院~奥之院の街中、奥之院中之橋近辺を中心に数多ある。コンビニも2軒あり、高野山の中を国道が走る。高野山のあっちこっちに観光バスや自家用車用の駐車場がある。高野山一帯は、和歌山県高野町という町になっており、高野山一山そのものが、巨大な宗教都市になっている。高野町町長に、高野山真言宗僧侶が就いていた時代もあった。

 

 

□年間平均で約120万~150万人の人が参詣に訪れている高野山真言宗総本山・高野山

 

かつて高野山は680ヶ寺を超える子院が山内にあるほどの巨大宗教都市だった。最盛期には、2000以上もの子院が建ち並んでいたという。その巨大宗教都市全体の総称を高野山金剛峯寺とよんでいた。それが明治維新の廃仏毀釈で大打撃を受け、680ヶ寺の子院を130ヶ寺の子院まで統廃合した。つまり5分の1の規模にまで縮小したわけだが、それでも高野山は今も全国随一の宗教都市である。現在の子院は117ヶ寺になっている。今より5倍以上の子院があった江戸時代以前の高野山の繁栄ぶりは、それこそ想像を絶するものがあったであろう。

そしてこの高野山には、弘法大師空海が開創し入定した霊場として、宗派を超えて毎日、日本全国から参詣者が絶えない。又、2004年に高野山が世界遺産に登録されたことにより、参拝客が増加。現在、高野山の年間参詣者数は約120万~150万人とされている。高野町の公式統計では

「高野山の入込観光客数は概ね年間120万人前後で推移している。弘法大師御入定1150年御遠忌大法会が開催された昭和59年には184万人の入込観光客数を記録したほか、世界遺産登録された平成16年には150万人近くとなった。しかし、宿泊客は長期にわたって減少傾向にあり、日帰り客の割合が高まっている。その一方で、外国人観光客は年々増加傾向にある。統計資料が整備されている外国人宿泊客数の推移をみると、世界遺産登録された翌年の平成17年から増加傾向が強まり、平成19年には倍増、その後も平成22年にかけて増加を続けている」

「高野山では、ゴールデンウィークやお盆、彼岸、秋の紅葉期に参拝者や観光客が多数訪れる。

入込観光客数を月別に見ると、8月が最も多く、ゴールデンウィークの5月や秋の観光シーズン

となる11月の入込観光客数が多い。また、高野山駅の日別の降車人数に基づくと、ゴールデンウィーク、お盆、彼岸、秋の連休に来訪者が集中していることが読み取れる」

「交通量調査データなどの既存資料に基づき、高野山への交通手段の利用状況を推計すると、平

日では約8,500人、平均的な休日では約13,000人、トップシーズンでは17,00019,000人近くの人が高野山に来ていると推計される(通勤や業務、住民の往来も含む)。自動車での来訪者は平日や平均的な休日では58%であるのに対し、トップシーズンでは70%を超えており、公共交通(鉄道、ケーブルカー、路線バス)は 817%に留まる。このように、高野山へは自動車が主要な交通手段となっている」(高野町総合交通計画より)

となっている。高野山の参詣者は、高野山真言宗の檀信徒や団体参拝、お遍路さんだけではなく、一般の観光客・参拝者が多数いるのは当然のことである。私が20145月に高野山に参拝した折にも、たくさんの人が高野山に参拝してきており、外国人観光客も多数いた。中国人か台湾人らしき団体客も多数来ていたし、欧米人の参拝客も来ていた。高野町の公式統計では「高野山の入込観光客数は概ね年間120万人前後で推移している」としているが、ただし「平日では約8,500人、平均的な休日では約13,000人」を年間に換算すると330万人を超える計算になる。

大門3高野山額
















 

(大門の「高野山」額)


高野山1
















高野山2















































高野山8
















高野山9
















 

(宗教都市・高野山の様子)


高野山図2
















 

(高野山に掲示されている案内地図)