■高野山金剛峯寺6(20145月の高野山旅紀行6)

 

835年に弘法大師空海が入定した真言宗の聖地・高野山奥の院・弘法大師御廟・灯籠堂

 

高野山奥之院の参道を延々と歩いて行くと、一番奥にあるのが弘法大師空海御廟と灯籠堂である。一の橋が弘法大師空海御廟の入り口になり、その橋の先が、弘法大師空海がおわします霊地になっている。奥之院は壇上伽藍と並んで高野山二大霊場のひとつになっている。高野山・奥之院(おくのいん)とは、高野山の信仰の中心であり、弘法大師空海が入定した聖地であることから、正式には一の橋から参拝するしきたりになっている。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。弘法大師空海が、奥之院参詣者を一の橋まで送り迎えをするという伝承があるため、橋の前で一礼してから、足を踏み入れるのが、しきたりになっている。

弘法大師空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来の印を組んだまま禅定に入ったと伝承される。921(延喜21)年、醍醐天皇が空海に「弘法大師」の諡号を贈った際に、東寺長者・観賢が高野山に登り、奥之院の廟窟を開いたところ、禅定に入ったままの空海と対面。その姿は、生前の空海と変わりなく生き生きとしていたとの伝説から、弘法大師空海は、今も奥之院に生き続けているという「入定伝説」が生まれたという。弘法大師空海は、今も高野山奥の院で生きていると信じている人もいる。弘法大師空海の死を、「死去」「入寂」「寂滅」「入滅」「遷化」などといわず「入定」という。御廟橋から灯籠堂を見ていると、たくさんの参拝人が、橋を渡り、灯籠堂に入って行くのが見える。また灯籠堂、弘法大師御廟の参拝を終えて、灯籠堂から出てくる人の数も多い。広大な高野山金剛峯寺のエリアの中では、この奥の院が最も参拝人の数が多いように思う。奥の院で特に目立ったのが、団体参拝のグループを数十組以上、見かけた。お遍路さんの巡礼グループも多数参拝に来ているのを見かけた。お遍路さんとは、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の寺院・四国八十八箇所を巡ることを「遍路」と言い、地元の人々は四国八十八箇所を巡る巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶ。高野山金剛峯寺の広大なエリアには、四国遍路の巨大看板もあった。

奥の院では、日本人の団体参拝客を多く見かけたのだったが、逆に壇上伽藍や千手院橋、旧青厳寺の金剛峯寺等で多く見かけた外国人観光客は、奥の院ではほとんど見かけなかった。もちろん奥の院も、世界遺産エリアに入っているのだが、外国人観光客は弘法大師空海には、あまり関心がないのだろうか。御廟橋から先のエリアは、弘法大師空海入定の聖地ということで、参拝人は写真撮影禁止だと言う。しかしあたりを見渡しても、写真撮影禁止の立て看板がどこにも見あたらない。奥の院の中にある弘法大師御廟で、写真撮影していた観光客がいたが、団体参拝に来ていた参拝人が、「ここは写真撮影禁止ですよ」と、かなり強い口調で叱りつけていた。写真撮影禁止の立て看板はないが、御廟橋から先の弘法大師御廟・灯籠堂のエリアは、写真撮影禁止だと、高野山の慣習でそうなっているのだろうか。

 

 

□午前中二回、僧侶によって弘法大師空海御廟に運ばれる生きた人が食べる食膳・生身供

 

奥の院エリアの三つめの橋である御廟橋から先が、弘法大師空海御廟の霊域ということになる。御廟橋を渡ると、堂内いっぱいに灯籠が奉納された灯籠堂がある。その灯籠堂の奥が弘法大師空海御廟がある。灯籠堂の中は広く、お賽銭箱も三つ置かれている。ただし、灯籠堂の中に本尊が見あたらない。弘法大師空海がおわします堂であるが故に、本尊がないのだろうか。

弘法大師御廟・灯籠堂は、まさに弘法大師空海がおわします霊域で、835年に入定した弘法大師空海が今もここに生きておわしますと考えられている。そして毎日、朝630分と1030分の二回、正御影供、つまり生きた人が食べる食膳である生身供がここに運ばれる。なぜ今も生きた人が食べる食膳が運ばれるのかといえば、それは今も弘法大師空海がここに生きていると考えられているからである。弘法大師空海に献膳する生身供は、奥之院エリアの御供所で調理され、御供所から僧侶が御廟まで運ぶ。これを正御影供という。

灯籠堂の中には、1000年近く燃え続ける二つの「消えずの火」がある。一灯は祈親聖人が献じた祈親灯。もう一灯は、白河上皇が献じた白河灯。二灯は永遠に生き続けると言われる弘法大師空海の生命のシンボルと伝えられている。

灯籠堂で参拝後、左手にあった受付にて、護摩祈祷を申し込む。奥の院で3日間、護摩祈祷を行った後、お札を自宅に郵送してくれるのだという。実際、私が東京に帰って数日後、奥の院からお札が郵送されてきた。護摩祈祷の申し込みを終えて、「これだけじゃ、何となく物足りないなあ」と思っていたところ、灯籠堂の裏手にある弘法大師御廟の前に行って参拝できることがわかり、早速、灯籠堂の裏手へと歩いて行く。ちょうど弘法大師空海廟の前には、焼香台、ロウソク台があり、焼香してロウソクに火を灯すことができるようになっている。ここにも団体参拝の人が多数来ていた。私は合掌して参拝して終わってしまったが、お遍路さん姿の参拝人は、弘法大師空海廟の前で熱心に読経をしていた。かなり熱心な信者の方のようです。ただし読経している参拝人がいたといっても、読経していた人はほんの数人だけ。ほとんどの人は、私と同じように合掌するだけか、あとは真言を唱えているひとがいたが、読経はしていなかった。高野山真言宗でも、熱心な信者の中には、読経ができる人もいるようなのだが、全ての信者さんが読経しているわけではないように見受けられた。日本の仏教では、在家信者に「読経」は文化として定着するのは、かなりむずかしいように思われますね。

ここでもうひとつ、弘法大師空海御廟で着目したことは、弘法大師空海は高野山で入定したので、弘法大師空海御廟の真偽論争は、昔も今も全く存在しないこと。弘法大師空海御廟はここしかないのである。弘法大師空海は入定したので、分骨を自称する寺院も全く存在しない。入定だから、分骨のしようがないのである。

奥の院14
















奥の院13
















奥の院16















































奥の院18
















 

(高野山・奥の院・御廟橋から灯籠堂)


高野山11
















 

(四国遍路の巨大看板)