■日蓮本宗本山・要法寺2(富士門流では最大寺院数)
京都・要法寺とは、京都の東山三条、正式な住所地で言うと、京都府京都市左京区新高倉通孫橋上ル法皇寺町という実に長い名前の住所地にある日蓮本宗本山寺院。こう言うと、なじみが薄く感じられるのだが、日蓮正宗大石寺と同じ日興門流の系統で、富士門流八本山のひとつであり、日興・日目の直弟として有名な日尊の系統である日尊門流の本山といったほうが、わかりやすいのではないだろうか。
日蓮正宗や創価学会、顕正会、正信会といった日蓮正宗系の団体に関わりがあった人、日蓮教学や富士門流宗学を研究している人、日蓮宗や法華宗、顕本法華宗の人でも、この要法寺という名前を聞いたことがない人はいないのではないだろうか。それくらい有名な寺院である。
「要法寺」の名前なのだが、正式には「ようぼうじ」と読む。「ようほうじ」ではない。
要法寺の名前の由来は、法華経の「四句の要法」と思われるが、「四句の要法」は「しくのようぼう」と読むのであって、「しくのようほう」ではない。
最近、要法寺の中世の造仏問題で論争している創価学会教学部と法華講員・樋田昌志氏の動画をユーチューブで見たのですが、樋田昌志氏に勝利宣言している創価学会教学部ですら、要法寺を「ようほうじ」と誤って読んでいるのには、驚きました。しかも勝利宣言した後の、「解説動画」の中でも、要法寺を「ようほうじ」と誤って読んでいる有様です。いい加減ですね。
「要法寺の読み方なんか、どうでもいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、こういう誤った読み方をしているのは、一般会員ではなく、教学のスペシャリストであるはずの創価学会「教学部」ですよ。彼らは、教学や宗学の研究で、漢字の「正しい読み方」を教わらないんでしょうか。
動画を見ていて、まことに奇異な印象を受けました。
要法寺は、日興門流(富士門流)の中の日尊の系統である日尊門流の祖山・本山であり、現在、「日蓮本宗」の本山を名乗っていますが、末寺は、要法寺の塔頭8院を含めて全国に50ヶ寺ある。要法寺は、戦前、本門宗であり、1941年、日蓮宗、顕本法華宗、本門宗の三派合同で、日蓮宗に合同している。
そして1950年に、日蓮宗から独立して、日蓮本宗を新たに立ち上げたわけだが、この要法寺本末の日蓮宗からの独立に追随せずに、そのまま日蓮宗にとどまった旧末寺が34ヶ寺ある。
そのうちの28ヶ寺が島根県にある。
さらにこの他に、元々は日尊門流の寺院だったが、今は日蓮正宗等の他宗派に属している寺院が14ヶ寺ある。
したがって日尊門流としては、要法寺と塔頭・末寺で約100ヶ寺くらいの規模があるのだが、現在の日蓮本宗は、その半分くらいの規模になっている。したがって現在は日尊門流=日蓮本宗ではない。
塔頭・末寺が50ヶ寺というのは、大石寺以外の富士門流本山では、最大の塔頭・末寺数ということになります。
第二次世界大戦前までは、塔頭・末寺が84ヶ寺あったわけですから、これは戦前の大石寺の塔頭・末寺数よりも多いのではないでしょうか。戦前は、まだ讃岐本門寺本末、富士妙蓮寺本末、日向定善寺本末が日蓮正宗に合同していませんでしたし、創価学会による末寺建立・寄進が行われる前でした。
1786(天明6)年に富士門流本山が江戸幕府に提出した末寺帳によると、各本山の末寺は
京都要法寺 83
北山本門寺 43(この中に讃岐本門寺本末が含まれていると思われる)
保田妙本寺 40(この中に日向定善寺本末が含まれていると思われる)
富士大石寺 40
西山本門寺 21
富士妙蓮寺 7
伊豆実成寺 4
小泉久遠寺 4
となっています。こう見ると、戦前までは要法寺本末の数は、富士門流内で最大の数だったと考えられるわけです。
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