日蓮本宗本山・要法寺3(日尊650遠忌)

 

さて富士門流八本山(大石寺、妙蓮寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、保田妙本寺、京都要法寺、伊豆実成寺)の中では、要法寺と伊豆実成寺が日尊門流ということになっているが、知名度としては、要法寺が圧倒的なのではないだろうか。

伊豆実成寺は、日尊建立第一号の寺院で、日尊門流には入っていますが、要法寺の末寺ではなく、独立した本山になっています。

要法寺22本堂3

 

又、現在、日蓮正宗大石寺と、京都要法寺の関係は完全に断絶状態になってしまっているが、戦国時代から江戸時代にかけて、大石寺と要法寺は公式に「通用」しており、大石寺15世日昌から23世日啓までの9代の法主が要法寺出身であることは、あまりにも有名である。

要法寺出身の大石寺法主が出ているだけではなく、北山本門寺34代貫首・玉野日志は要法寺出身であるし、西山本門寺8代貫首・日眼も要法寺出身である。

日尊門流は、日興を祖とする富士門流の中では最大規模であったため、僧侶・人材は昔から豊富だったようです。

 

現在、京都要法寺と日蓮正宗大石寺は、鋭い対立関係にありますが、元は同じ富士門流(日興門流)であるから、曼荼羅本尊、日蓮本仏論、種脱勝劣、方便寿量読誦、薄墨衣・白袈裟といった教義は同じ。

それだけではなく、要法寺の山号は多宝富士山といって、大石寺と同じであるし、日興が日蓮から唯一人相承されたとする日興相承論も同じ。大石寺も要法寺も、明治から大正にかけて「日蓮宗興門派」「本門宗」として、同じ宗派であった。

これは、1900年の大石寺一門の「日蓮宗富士派」(日蓮正宗)独立で実質的に破綻するのだが、長く大石寺と要法寺は同一だったため、大石寺の末寺なのか、要法寺の末寺なのか、わからなくなり、仏眼寺や妙縁寺などの、大石寺・要法寺の帰属問題も起こっている。

 

そうなってくると、大石寺と要法寺の教義的な違いは何なのか、ということになってくる。

要法寺は、大石寺の「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を認めておらず、大石寺法主の唯授一人血脈相承も認めていない。

そして要法寺は要法寺で、独自に「称徳符法本尊」「符法曼荼羅」なる本尊を立てて、さらに要法寺独自の血脈も唱えている。

とは言っても、大石寺と要法寺は長い歴史の中で、通用したり反目したりを繰り返しているので、教義的には共通性のほうが多い。

 

私も若い頃から、大石寺や富士門流の研究を重ねてきているので、ここ要法寺は、どうしても直接行って、調査しておきたい寺院であった。とはいっても、要法寺があるのは京都であり、おいそれと行ける所ではありません。

私がはじめて要法寺に行ったのは、1994(平成6)年の要法寺開祖・日尊650遠忌の年。今から約16年前。私も、今よりも、もっと血気盛んな時でした。

 

なぜこの年を覚えているかというと、この年が要法寺・日尊門流の開祖・日尊650遠忌の年だったからです。