■真宗・興正寺2(次代門主に華園真慶氏)

 

□浄土真宗興正派興正寺次代門主(新門)に現・華園真暢門主の長女・真慶氏に正式決定

 

アメリカでは、大統領選挙・共和党候補者・ドナルド・トランプ氏の女性蔑視発言が問題視される中、日本の仏教界で、こんなニュースが飛び込んで来た。

「真宗興正派、門主の長女が後継者就任へ

真宗興正派(本山・興正寺、京都市下京区)は(10)12日、華園真暢(しんちょう)門主(59)の長女・沙弥香(さやか)さん(22)=法名・真慶(しんきょう)=が来年(2017)4月1日、門主後継者である「嗣法(しほう)」に就任することを明らかにした。沙弥香さんは継承順位1位だったが、正式に門主を継承する立場に就く。この2年半の間に、京都市内に本山を置く浄土真宗の四つの宗派全てで、世襲制のトップの代替わりや後継者選びが完了したことになる。この日開催された興正派の最高議決機関の宗会で、龍村豊雄(ほうゆう)宗務総長(74)が、9月7日に開催された法灯(ほうとう)伝承委員会で沙弥香さんを嗣法に選定したと述べた。就任時期は来春に東京都内の大学を卒業するのに合わせたという。嗣法は「新門」とも呼ばれる。2001年4月に就任した真暢門主の子は沙弥香さんのみ。宗派の以前の規則では、男子以外は門主になることができなかったため、同年に女性が門主に就任できるよう、規則を変更していた。浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)では20146月に、光真(こうしん)氏(71)から長男光淳(こうじゅん)氏(39)に門主の座が譲られた。一方で、「ご隣山」の東本願寺(真宗大谷派本山)では、「お東紛争」で直系の男子4人のうち3人が宗派を離脱。18年間の後継者不在を経て、ようやく20144月に大谷暢顕(ちょうけん)門首(86)のいとこ暢裕(ちょうゆう)氏(65)を門首後継者に選定した。真宗仏光寺派(本山・仏光寺)では、続いて門主を務めた兄弟がいずれも退任し、20109月に兄弟の母・渋谷恵照(えしょう)氏(91)が門主に就任した。今年(2016)11月に、恵照門主の孫・覚(さとし)氏(36)が門主後継者の「新門」に就任する。」

(ヤフージャパンニュースより)


「真宗興正派の門主後継者に女子大学生…来年就任

真宗興正派(本山・興正寺、京都市下京区)の門主後継者「嗣法」に、華園真暢門主(59)の長女で、日本獣医生命科学大4年の沙弥香さん(22)が就くことが決まった。10月12日の宗会で龍村豊雄宗務総長が明らかにした。同派では、嗣法の選考順位を門主の長男、長男の子と定めていたが、華園門主には沙弥香さんしか子どもがおらず、2001年に女性も就けるように宗規を改正。沙弥香さんは02年に得度し、重要な法要に出仕するなどして準備を進めていた。大学卒業後の来年4月に正式に就任し、その後、嗣法就任式を行う予定。同派によると、仏光寺と称していた南北朝時代に女性が住職になったことがあるが、以降は男子が継承してきた。同派は1876年に浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)から独立。全国に約500の所属寺院があり、門信徒数は約3万5000人。」(The Yomiuri Shimbunニュースより)

次代門主に華園真慶氏 





 

□南北朝時代に日本の仏教史上はじめて女性(尼僧)門主が登座した歴史を持つ浄土真宗

 

読売新聞の記事に「仏光寺と称していた南北朝時代に女性が住職になったことがあるが、以降は男子が継承してきた」とあるが、興正寺の起源については複数説がある。

正中元年(1324)に了源が山科に一宇を建立。それを大谷廟堂の覚如が興正寺と名付ける。そののち、山科から汁谷(今の京都・渋谷通り・しぶたに)に移り、寺号を仏光寺としたとする説。

もうひとつは、建暦2(1212)に流罪地の越後から京都に戻った親鸞が山科に一宇を建て、順徳天皇から「興隆正法寺」の寺号を拝受。勅願寺になった。それが略して興正寺になったという説。

文明年間(14691487)に、仏光寺第14世経豪は、当時の仏光寺が天台宗妙法院と近かった関係を嫌い、本願寺8世蓮如に帰依して、同士の僧侶らと仏光寺を抜け、興正寺の旧地である京都・山科に寺院を建立。旧名の興正寺を継承した。蓮如は経豪に蓮教の僧名を授与した。仏光寺から分離した興正寺は、天文法華の乱で一時、大坂に移るが、天正19(1591)に本願寺の京都移転にあわせて、今の地に移転する。本願寺の東西分立以降は、西本願寺に属していたが、宗論の違いから西本願寺と袂を分かち、明治9(1876)に西本願寺から独立した。よって現在の興正寺は、もともとは仏光寺であり、仏光寺から分離した後は、西本願寺に属した。明治になって西本願寺から分離・独立したという歴史を辿る。

それからマスコミ報道は見落としているが、浄土真宗は日本の仏教史上はじめて女性(尼僧)門主が登座した歴史を持つ宗派であること。浄土真宗仏光寺派本山・仏光寺第九代門主の了明尼公は、南北朝時代に史上初の尼僧として仏光寺一門の女性門主に登座している。

又、明治21(1888)に仏光寺第二十七代門主になった真意尼公も尼僧である。これはもちろん、男性僧侶と女性僧侶(尼僧)が混在する本山寺院の門主・法主で、歴史上はじめて女性門主が出たという意味である。したがって尼寺の門主は、当然のことながら女性僧侶(尼僧)である。飛鳥時代から尼僧の寺院として法灯を継承してきている奈良・中宮寺の歴代門主は尼僧であるので、こういうケースは除かれる。現代でも浄土真宗仏光寺32代門主・渋谷恵照氏は女性であるが、日本の宗教界全体を見ると、女性教祖・女性会長がけっこういる。

□天理教(中山みき)□神一条教(米谷くに)□世界心道教(会田ヒデ→会田和子→会田政美)□ほんぶしん(大西玉)□神慈秀明会(小山美秀子→小山弘子)□救いの光教団(大沼祐子)□天聖真美会(岩永佳代子)□慈永堂(勝沼久子)□崇教真光(岡田恵珠)□天照皇大神宮教(北村サヨ)□妙智会教団(宮本ミツ)これらの新宗教教団の教祖・指導者は全員女性である。霊友会の教祖・久保角太郎氏の後継で初代会長になった小谷喜美氏は女性。立正佼成会・庭野日敬開祖会長とともに草創期をリードした脇祖・長沼妙校氏は女性。庭野日鑛二代会長の後継(次代会長)に内定している庭野光祥氏は女性である。大本教は開祖・出口なお氏、二代教主・出口すみ子氏、三代教主・出口直日氏、四代教主・出口聖子氏、五代教主・出口紅氏は全員女性。真如苑の開祖は伊藤真乗氏(男性)だが、1950年の「まこと教団事件」で開祖・伊藤真乗氏が逮捕されて有罪判決が確定。伊藤真乗氏は管長を辞して教主となり、開祖夫人の伊藤友司氏(摂受心院友司)が代表役員(苑主)として再出発した。開祖夫婦の死去後は、開祖夫婦の三女・四女が後継となり、№1の苑主は三女・伊藤真聰氏、№2の理事長は四女・伊藤真玲氏が勤めている。こうして見ると、新宗教教団においても、女性教祖、女性指導者はかなりたくさんいる。こういったことは、以外と知られていない日本の宗教界の隠れた『先進的』な顔と言えるかもしれない。

興正寺1




















興正寺2



















 

 

(興正寺)