□日蓮正宗系の芸能人の中に舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家のジャンルの人はほとんど見あたらない

 

「仏教宗学研究会」管理人は、国立西洋美術館、ブリジストン美術館、世田谷美術館、東京都美術館、国立新美術館といった美術館へ行き、西洋絵画・彫刻の鑑賞をしている。何も仏教美術、東洋美術だけに限定しているわけではない。

私が、西洋の画家が描いた絵画で、最も感銘するのは、人物画、風景画を正確に描く絵画である写実主義である。西洋の写実主義の絵画を鑑賞すると、いつも感銘を深くします。「あれ。これは写真なのかな」と、思わず写真と見間違えてしまうような見事な風景画、人物画が、いわゆる写実主義の絵画。カイユボット展でも、写真と見間違えてしまう見事な風景画、人物画がズラリと並ぶ。

遠くから鑑賞していると「写真かな?」と思い、近づいて鑑賞してみると、コテコテの絵の具で描かれた、完全な絵画。「やっぱり絵だな」と思う。中年女性の人物画の白髪が、美術館の蛍光灯に照らされて、光っていて、本物の白髪のように見える。「あれえ」と思って、近づいてよく観察してみると、白色の絵の具に蛍光灯の光が反射しているだけ。「光の反射まで計算に入れて描いたのかな」と思ってしまった。「室内で読む女性」の絵を、少し離れて鑑賞すると、女性が手にする書類が、本物の紙の書類に見える。しかし近づいて見てみると、やはり絵の具で描かれた絵画。場内に展示されている絵画を、ひとつひとつ、くまなく鑑賞したが、まさに感銘の連続である。過去にも国立西洋美術館や、他の美術館で、何度も見事な写実主義の絵画を鑑賞して、そのたびに感銘を深くしている。

創価学会では、役者やタレントが入る「芸術部」という組織があることは有名だが、一般的に舞台俳優も含めて役者、タレント、歌手、お笑いタレントといった職種には、昔から創価学会員が多いと言われている。昨今は、インターネット上に、創価学会員の芸能人の実名がズラリと登場するが、そのほとんどが、役者、タレント、歌手、バンドマン、お笑いタレント、コメディアン、プロデューサー、スポーツ選手といったジャンルの人たちである。あとは、大手プロダクション・芸映の当時の社長が、創価学会芸術部の大幹部だと、ジャーナリスト・内藤国夫氏が報じていた。

ところが面白いことに、舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家といった人たちに、創価学会員がいるとは、私はほとんど今まで聞いたことがない。

1980年代から90年代にかけて、内藤国夫氏らが創価学会員の芸能人の実名を挙げているが、その中に、舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家のジャンルの人はいない。昨今、インターネット上で報じられている「創価学会員の芸能人」の中にも、舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家のジャンルの人は、ほとんど見あたらない。

舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家といった人の話を聞くと、「芸能界って、創価学会員が多いんだよなあ」と言う。そこに出てくる創価学会員とは、大概が役者、タレント、歌手、バンドマン、お笑いタレント、コメディアン、プロデューサーといった人たちである。

たしかに舞台演劇や映画、ドラマの主役を演じているのは役者・俳優だが、舞台、映画、ドラマの筋書きを書くのは脚本家であり、舞台、映画、ドラマそのものを造り上げるのは、舞台監督、映画監督、演出家である。だから舞台、映画、ドラマの真の主役は、監督、演出家、脚本家である。

音楽も同様で、確かに歌を歌うのは歌手であるが、その歌を書いて作り上げるのは、作詞家、作曲家、編曲家である。だから役者、タレント、歌手、バンドマン、お笑いタレント、コメディアン、プロデューサーに「創価学会員の芸能人」が多く、舞台監督、映画監督、脚本家、演出家、作詞家、作曲家、編曲家に創価学会員の名前をほとんど聞かないのは、面白い相関関係ではないかと思う。

カルト宗教では、芸術はできないということなのだろうか。

 

国立西洋美術館1

















 

(東京・上野・国立西洋美術館)

 

 

 

□創価学会、顕正会、日蓮正宗等「日蓮正宗系」カルト宗教と芸術活動は両立しない

 

こう言うと「阿部日顕、池田大作、浅井昭衛が作詞した歌がある」「俳句がある」「短歌がある」「池田大作は小説『人間革命』を書いている」という反論が来るが、日顕が造った歌を歌っている人は、日蓮正宗の僧侶と信徒ぐらいなものではないか。池田大作の小説「人間革命」を喜んで買っている人は創価学会員ぐらいなものだろう。世間一般の人が日顕の作った歌を歌っていたとか、池田大作が造った小説を買って読んでいたとか、そんなことをしていたとは、全く聞いたことがない。

私が言っているのは、日蓮正宗や創価学会など、カルト宗教の中だけに定着しているものを指しているのではなく、広く世間一般の人に流布した文化のことを言っているのである。

芸術というのは、「共感」ですから、独善的な思想や信仰に凝り固まったり、「オレのほうが一般の人より偉いのだ」という間違った思想に凝り固まった人に、広く世間一般の人の共感を呼び起こす芸術の創作活動は、できないと思うのだが、どうだろうか。「オレは偉いのだ」と言っている人に、心から共感する人など、世間のどこにいるだろうか。少なくとも私は、「オレは偉いのだ」と威張っている人が、広く世間一般の人の共感を呼び起こす芸術の創作活動をやっている人を、いまだ見聞したことがない。阿部日顕、池田大作、浅井昭衛が造った歌や小説、俳句、短歌等といったものは、広く世間一般の人の共感を呼び起こす芸術には入らない。もちろん、フランスをはじめ西洋画家たちは、どこぞのカルト宗教の信者でもなければ、独善的思想に凝り固まった人でもない。だからフランスをはじめ、一般の人に共感を涌き興すことができたのではないかと思う。

そういえば、かつて創価学会員として、池田大作の独善思想に凝り固まっていた富士門流執着軍団の某人盃男が、やれ「役者のおちこぼれ」だの何だのと、ふんぞりかえって、知ったかふりをして、誹謗中傷しているという話しを見聞した。他を「おちこぼれ」などと見下すなら、自分は広く世間一般の共感を涌き興す芸術の創作活動をやっているんですかね。「やれる」というなら、ぜひやっていただきたいものだが、「オレは偉い」だの「あいつは、おちこぼれ」だのと威張っている某人盃男に、広く世間一般の共感を涌き興す芸術の創作活動なんて、無理だと思われるが、どうだろうか。

 

ブリヂストン美4























特別展2






















 

(ブリジストン美術館で行われた「カイユボット展」