□国立西洋美術館の常設展に展示されているミケランジェロやロダン等による男性全裸彫刻

 

「仏教宗学研究会」管理人は、しばしば東京・上野の国立西洋美術館に足を運び、企画展を鑑賞している。

国立西洋美術館は、特別展だけでなく、常設展がまた私にとって関心が深い展示が並んでいる。国立西洋美術館の企画展入場券は、常設展も入場して観覧・鑑賞できる。

国立西洋美術館の常設展には、ヨーロッパの上古の時代からの絵画や彫刻がズラリと展示されている。それらの絵画や彫刻の多くは、キリスト教に関連するものが多い。宗教学者・島田裕巳氏の著書「仏像鑑賞入門」によれば、キリスト教文化の芸術のメインは、彫刻よりも絵画だという。それはキリスト教では偶像崇拝が禁止されていることが大きいとの見解を示している。たしかに西洋美術を見ると、有名な「最後の晩餐」などキリストにまつわる絵画が多く、しかもリアルに描かれている。島田裕巳氏が言う「キリスト教では偶像崇拝が禁止されている」という意味は、例えば仏教宗派では釈迦如来像や阿弥陀如来像を本尊として寺院本堂に祀るが、キリスト教では一部の例外を除き、基本的にはそういうことは行っていないという意味である。しかしこれは西洋美術に、彫刻が存在しないという意味ではない。西洋美術には、本尊として祀る彫刻は存在しないが、いささか趣が異なる彫刻が存在する。そういう彫刻が国立西洋美術館の常設展に展示されている。

私が西洋美術と東洋美術の違いを大きく感じるのは、絵画もさることながら、彫刻である。東洋美術の場合、たしかに彫刻は仏教関連、なかんずく寺院本堂に祀る本尊としての釈迦如来像、阿弥陀如来像、薬師如来像、不動明王像、千手観音像、救世観音像等々がメインである。

宗教学者・島田裕巳氏の著書「仏像鑑賞入門」によれば「日本の仏教寺院の本堂には、ほとんどが仏像が本尊として祀られており、日本全国で何十万体から百万を超える仏像があると推計している」(島田裕巳氏「仏像鑑賞入門」p18)と書いている。

あるいは仏像の他に、日蓮宗なら日蓮像を日蓮宗寺院祖師堂に祀り、あるいは日昭像、日朗像、日興像を堂宇に祀る。浄土宗なら寺院御影堂に法然像を祀り、浄土真宗から寺院御影堂に親鸞像を祀り、真言宗なら弘法大師空海像を本堂に祀る寺院がある。

 

モネ展4

















 

(国立西洋美術館・「モネ展」

 

北斎とジャポニズム2

















 

(国立西洋美術館・「北斎とジャポニズム」

 

 

 

 

□日本・東洋の仏教文化には皆無の仏像・菩薩像の筋肉質、マッチョ男の全裸美術、全裸彫刻

 

ところが西洋美術の彫刻は、一部にキリスト像やマリア像が見られるものの、キリスト教の教会の本尊として祀る彫刻は皆無である。西洋美術の彫刻で目を引くのは、ミケランジェロやロダン等の彫刻に代表される筋肉質、マッチョ男の全裸彫刻である。国立西洋美術館にも、ミケランジェロの全裸男性彫刻像の他、「弓を引くヘラクレス」「説教するヨハネ」など、マッチョ男の全裸彫刻が常設展示されている。全裸彫刻だから、もちろん男根丸出し彫刻。常設展もたくさんの人々が見学・鑑賞に来ており、若い女性や主婦と思われる女性も、マッチョ男の全裸彫刻「弓を引くヘラクレス」「説教するヨハネ」等を普通に鑑賞している。もちろんこれらの全裸彫刻も美術品として展示されているわけで、見学者も全裸彫刻を美術品として鑑賞していることは言うまでもない。

こういった全裸美術、全裸彫刻は、日本の仏教文化には皆無である。仏教寺院本堂に祀られている釈迦如来像は、どこの寺院でも衣を着ており、全裸ではない。これは釈迦如来像に限らず、阿弥陀如来像、薬師如来像、不動明王像、千手観音像、救世観音像、日蓮像、日昭像、日朗像、日興像、法然像、親鸞像、弘法大師空海像等々、全て衣を着ている像である。一部の寺院には金剛力士像などが半裸状態で彫刻されているものがあるが、基本的に衣を着ており、全裸の男根丸出し彫刻ではない。これは西洋美術と東洋美術の決定的な違いのように思う。違いであることはわかるが、例えばヨハネとはイエス・キリストの十二人の弟子・使徒の一人。そのヨハネが説教するのはわかるのだが、なぜそれが衣服も着ない男根丸出しの全裸で説教しなければならないのか、はっきり言って私にはよくわからない。なぜ「弓を引くヘラクレス」の像が、マッチョ男の全裸彫刻でなければならないのか。なぜ服を着た彫刻ではダメなのか、私も理解に苦しむ部分がある。それとも「弓を引くヘラクレス」「説教するヨハネ」等、マッチョ男の全裸彫刻は、彫刻された当時は「猥褻彫刻」として造立され、歳月が経ち数十年後か、数百年後に「芸術」として認知されるようになったのだろうか。これだったら、なんとなくわかるような気がする。そういえば、かつて「猥褻か芸術か」で刑事裁判にまでなった日活ロマンポルノが、今や芸術作品として評価を得ているのだとか。

しかしもし例えば誰かが、全裸の「弓を引く日興」だとか、全裸の「説教する日蓮」像、全裸の「スピーチする池田大作」像を彫刻しようものなら、それこそ日蓮宗や創価学会、日蓮信仰者、宗教者のみならず彫刻家や芸術家から、ごうごうたる非難が浴びせられることだろう。誤解のないように附言しておくが、私は何も日蓮の全裸彫刻を造立したほうがいいとか、日蓮の全裸彫刻を造立したいと言っているのではない。又、仮に誰かが日蓮の全裸彫刻を造立したとして、それを非難することが間違いだと言っているのでもない。あくまでも東洋仏教美術と西洋キリスト教美術の相違を言っているのである。今は、東洋芸術と西洋芸術の交流が幅広く行われている時代だが、東洋で全裸の仏教関係者の像が彫刻される日は来ないような気がするのだが、どうだろうか。

 

全裸彫刻1ok


















































全裸彫刻2ok



















































全裸彫刻3ok



















 

(国立西洋美術館に展示されているマッチョ男の全裸彫刻・写真の一部を修正しています。国立西洋美術館内常設展は一定の条件のもとに写真撮影okです)