■倶利伽羅不動寺4(201843日・倶利伽羅不動寺参拝会)

 

□一般社団法人設立総会直前の201843日に行われた倶利伽羅不動寺山頂本堂参拝会

 

201843日から18日にかけて、断続的に一般社団法人仏教宗学研究会の設立準備委員会が、今の主たる事務所である石川本部で開かれたのですが、それらに先駆けて、43日、石川本部から最も近い位置にある伝統仏教宗派の本山格寺院である倶利伽羅不動寺の参拝会を、設立準備委員会の参加者全員で、行いました。

2018年は、寒気や東京の大雪、さらには北陸地方の大雪があった影響で、例年の長野善光寺の初詣を行っていませんでした。一般社団法人設立の準備は、2017年の春ころから行ってきていたのですが、いよいよ法人設立の段階までたどり着いたところで、2018年の初詣も兼ねて、倶利伽羅不動寺の参拝会を行いました。この年に参拝したのは、上古の昔からの山頂本堂。

前回の山頂本堂参拝が2010728日なので、79ヶ月ぶりになりました。

倶利迦羅不動寺とは、石川県河北郡津幡町倶利伽羅にある高野山真言宗の別格本山。本尊は倶利迦羅不動明王。倶利伽羅不動寺の縁起は、次のようになっている。

「倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。

寿永二年(1183)の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い、多くのお堂や寺宝、記録などが焼失しましたが、その後、源頼朝によって再興されました。戦国時代の天正年間(15731592年)には衰退し、廃寺同然となりましたが、江戸時代の寛永年間(16241644年)に秀雅上人が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛しました。

江戸末期の天保七年(1836)に門前の茶屋から出火し、山門や不動堂が焼失しました。再建されないまま明治維新を迎え、明治二年(1869)の明治政府による神仏分離令によって長楽寺は廃され、手向神社となりました。その当時の仏像類は、金沢市の宝集寺、小矢部市の医王院、津幡町倉見の専修庵などに譲渡されました。廃寺から50年後の昭和二十四年(1949)、高野山の金山穆韶大僧正の尽力により、長楽寺跡に堂宇が再建され、御本尊さまの御名から倶利迦羅山と号し、不動寺(通称、倶利伽羅不動寺)として復興されました。奥之院の不動堂は、旧高松小学校(現かほく市)の御真影奉安殿、本堂は旧金沢卯辰山忠魂祠堂を移築したものです」

(倶利伽羅不動寺公式ウエブサイトより)

 

山頂本堂は、1949(昭和24)年に復興したものですが、上記の縁起からして、「上古の昔からの山頂本堂」と称しても、差し支えないのではないかと思います。

 

山頂本堂2















山頂本堂5















山頂本堂4















 

(山頂本堂)

 

山頂本堂3















 

(山頂本堂参道)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□電車・バスでの交通アクセスが極端に悪く車で参拝するしかない倶利伽羅不動寺への参拝

 

不動寺本堂に祀られているのは、大日如来ではなく、高祖弘法大師奉安の倶利迦羅不動明王が祀られており、日々護摩法が行われている。なぜ本尊が大日如来ではなく、不動明王なのか、という点がわかりにくいのだが、不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証を表現したものであると見なされている、ということらしい。片や、今から約1300年前に、善無畏三蔵法師が敬刻された倶利迦羅不動明王は、本堂の横にある奥の院に格蔵されている。こちらは秘仏で、3年に一度、秋口に御開帳されている。

 

山頂本堂・奥の院1














































 

(奥の院)

倶利伽羅不動寺は、石川県と富山県の県境を越える天田峠にある。今の天田峠越えの道は県道になっているが、私の子どもの頃は、この狭い道が国道8号線だった。国道8号線の倶利伽羅トンネルが完成してから、天田峠越えは県道に格下げになったが、私にとっては、この天田峠越えの道が、実に懐かしい。駐車場に車を停めて、長い参道を登って本堂へ。本堂参拝後、本堂内の受付にて、御朱印をいただく。

2018.4.3御朱印1



































 

(倶利伽羅不動寺御朱印)



この本堂付近に石川県・富山県の県境が引かれていて、テレビの旅番組でも紹介されています。次に、奥の院に参拝。こちらは扉が閉まったままなので、外からの遙拝になりました。つづいて弘法大師空海像に参拝。

つづいて本堂前の茶屋に入り、「倶利伽羅そば」を食べながら懇談。「倶利伽羅そばは、この本堂前の茶屋が発祥といわれている、この地域の名産品。津幡町内の料理店でも、「倶利伽羅そば」を出している店があります。私は、うどん、そばが元来、大好きで、一時期、毎日のように、うどん、そばを食べていたことがありました。ところが、うどん、そばは、塩分が多く含んでいる食べ物であることがわかり、2016年からスポーツジムに通ってダイエットを再開してからは、うどん、そばを完全に控えていました。今回の倶利伽羅不動寺の参拝会では、「例外」として、倶利伽羅そばを食べました。そばを食べたのは、1年半ぶりぐらいです。

 

倶利伽羅そば2















 

(倶利伽羅そば)

 

山頂本堂・茶屋1















 

(山頂本堂前の茶屋)



ダイエットを再開してから、塩分の多い食べ物、うどん、そば、パン、かまぼこ、はんぺん、しょうゆ、そばつゆ、塩辛、漬け物、みそ、明太子といった食べ物を控えていたからか、なんとなく塩辛く感じました。役員の一人に「そば嫌い」がいますが、この時は、普通に食べていました。他の人たちは「おいしい」と言って、喜んで食べていました…。

この倶利伽羅不動寺というところは、かなり山奥の倶利伽羅峠の山頂付近にあり、とても電車での参拝は無理。仮に電車でここに行くとなったら、最寄り駅は、IR石川鉄道線(JR)倶利伽羅駅になりますが、この駅から倶利伽羅不動寺までは、かなりの距離があり、倶利伽羅駅から倶利伽羅不動寺までバスが出ているかどうかも不明。

そもそもこの倶利伽羅駅という駅は、無人駅で、列車の発着本数もかなり少ない。ひとつ、金沢寄りのIR津幡駅までいけば、IR線とJR七尾線の列車が停車するので、少しだけ交通の便はいい。

しかしJR七尾線の特急列車は、午前中、上りの2本だけ停車するだけで、あとは全て津幡駅を通過する。下り特急は全て津幡駅を通過。IR線を走る快速列車も全て津幡駅を通過する。

だから津幡駅に停車する列車は、ほとんどがIR線とJR七尾線の各駅停車(----この地方では、各駅停車のことを普通列車と呼んでいる-----)のみ。又、津幡駅から倶利伽羅不動寺まで行くバスなんて、聞いたことがありません。そういうバスは運行されていないと思いますね。

だから倶利伽羅不動寺の参拝は、電車、バスを乗り継いでの参拝はとても無理で、車で参拝に行くしかありません。

しかし車での参拝も、とても便利とは言えません。北陸高速自動車道の金沢森本インターからも、小矢部インターからも、かなり遠いし、国道8号線から行くとなると、途中から、狭い道をくねくねと登っていかなくてはならない。山頂本堂入り口も、実にわかりにくいですね。

地元自治体の津幡町は、ここを観光スポットにしようとしているようですが、これだけ交通の便が悪いと、なかなか参拝客も集まらないのではないかと思います。

こういう伝統仏教宗派の寺院に参拝する人は、年齢層的には中高年の人が多いわけですから、中高年の人を数多く集客するには、電車・バスの参拝が出来るようにしないとダメだと思いますね。数多くの参拝客を集める有名神社・仏閣には、必ずといっていいほど、近くに鉄道駅があります。例えば明治神宮原宿駅(JR山手線)、靖国神社九段下駅(地下鉄)、鶴岡八幡宮鎌倉駅(JR横須賀線)、出雲大社---出雲大社前駅(大社線)、伊勢神宮---宇治山田駅(近鉄線)、高野山---極楽橋駅(南海高野線)高野山駅(南海高野山ケーブル)、身延山久遠寺---身延駅(JR身延線)、善光寺---長野駅(JR北陸新幹線・JR)。といった具合です。

倶利伽羅不動寺の場合、参拝の交通アクセスの改善が急がれますね。

 

山頂本堂8
















 

(山頂本堂入り口)

 

山頂本堂7