■千光山清澄寺2(2019217日の参拝会2)

 

□千年杉は樹齢は不明だが清澄寺千年の歴史を物語る霊木として「千年杉」と呼ばれている

 

宝物館、庫裡がある高台から境内の外を見下ろすと、なかなか眺めがいい景色にお目にかかることができる。その高台から坂道を下っていくと、あの有名な「千年杉」がそびえ立っている。

千年杉の横に立っている案内板の記述によれば、この千年杉はその名のとおり杉の木で、本州、四国、九州、屋久島まで広く自生していて、クスノキ同様、御神木として寺社の境内に多く見受けられる。千年杉の根回りの太さは17.5m、目通りの太さ約15m、樹高約47m。国から天然記念物に指定されている。ではこの「千年杉」の樹齢は、本当に千年なのか。ここが重要である。

千年杉の横に立っている「清澄の大スギ(千年杉)」と題する案内板には、「樹令は不明」と書いてある。さらにもうひとつ、「房総の魅力500選・清澄の大スギ」と題する案内板にも、「樹齢は不明」と書いてある。案内板にもあるとおり、「一千年をこえる清澄寺の歴史を物語る霊木」ということで、一般的に「千年杉」と呼ばれている、ということである。

さて境内の中には、クスノキもある。「清澄の大クス」と名付けられている、こちらは鴨川市指定天然記念物になっている。「大クス」の名のとおり、関東近県のクスノキにしては、珍しく幹が太い。清澄寺は、割と海に近く、気候が温暖なのかもしれない。「清澄寺にクスノキがある」と書くと、日蓮正宗系カルト信者が大喜びしそうであるが、残念ながら「清澄の大クス」は「戒壇の大本尊」とは無関係であることが明らかである。

第一に、今の清澄寺の大クスがあるからといって、小氷期の鎌倉時代に「清澄の大クス」が存在していた証拠にはならない。

第二に、仮に「清澄の大クス」が小氷期の鎌倉時代に存在していたとしても、身延山久遠寺に在住していた日蓮が、「清澄の大クス」を伐採して身延山久遠寺まで運搬できるほどの経済力、財力を持っていなかった。身延山で極貧・極寒の生活をしていた日蓮に、そんなことができる経済力、財力はなかったのである。だから、「清澄の大クス」は、楠木でできている「戒壇の大本尊」なる板本尊とは、全くの無関係である。

 

千年杉4














































 

(清澄寺・千年杉)

 

千年杉6















 

(千年杉の横に立っている案内板)

 

千年杉5














































 

(「房総の魅力500選・清澄の大スギ」と題する案内板)

 

大楠4














































大楠3













































 

(清澄の大クス)

 

 

 

 

 

1974216日の池田大作“七百年ぶり対面(?)事件”で有名になった清澄寺「千年杉」

 

さてもうひとつ。清澄寺・千年杉は、1974(昭和49)216日の池田大作“七百年ぶり対面(?)事件”で、あまりにも有名になった、それこそ特別な「天然記念物」なのである。

この池田大作“七百年ぶり対面(?)事件”を、最初に報じたのは1979(昭和54)428日号の日蓮正宗全国檀徒新聞(正信会系)「継命」で、東京目黒・妙真寺で行われた「第一回東京檀徒決起大会」における正信会議長・渡辺広済氏の講演で語られた話である。正信会とは言っても、この当時は全員が日蓮正宗の僧侶・信徒だった時代であり、渡辺広済氏も日蓮正宗寺院住職であった。

渡辺広済氏は、こんなことを言っている。

「池田会長はその時、清澄()の千年杉に向かい、その木肌をなでながら、こう呟いたそうです。『久しぶりだね。七百年ぶりだねえ』(爆笑)驚いたのは側近です。『これは間違いない。七百年前のことを覚えていらっしゃる』(爆笑)

 

1978.4.28千年杉10・疵洗い井戸











 

(1979(昭和54)428日号「継命」)

その同じページには、清澄寺・千年杉の写真が掲載され、その下に、こんな解説文が載っている。

「池田会長がなつかしがった清澄寺の千年杉。700年ぶりの対面(?)直後、実はまだ樹齢約400年と地元紙にスッパ抜かれた」

 

1978.4.28創価学会はどんな謗法を犯してきたか・会長本仏論
































 

(1979(昭和54)428日号「継命」)

この池田大作“七百年ぶり対面(?)事件”はあっという間に宗内に広まり、第1次宗創紛争で創価学会を脱会して日蓮正宗寺院檀徒になった人は、多くの人が知っている事件である。

さらに平成元年(1989)715日号「継命」にも、こんな話しが載っている。

「昭和49(1974)216日のこと……十二時ちょうど、立宗宣言の午の刻と同じ時刻に、清澄寺に登るのである。境内にある千年杉という老木のまえまでくると、やおら『なつかしいなあ』と声をあげた。側近達はびっくり、『これはすごい。やはり池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わりに違いない』と吹聴して歩いた。……後に阿部師(大石寺67世日顕のこと)が『清澄で、しばらくだなあと言いましたか』と(池田に)問いただしたら、池田『いえ、なつかしいなあと言ったんです』とのオチまである」

 

1989.7.15千年杉・疵洗い井戸2



















 

(平成元年(1989)715日号「継命」)

千年杉が「地元紙に樹齢400年とスッパ抜かれた」とあるが、この事実は確認できない。清澄寺・千年杉の横にある案内板には「樹齢は不明」とある。

宗創和合時代に大石寺67世日顕が池田大作に、“七百年ぶり対面(?)事件”を、1990年代のころ、日蓮正宗寺院住職に問いただしたことがあるが、「これは事実」と認めていた。

私も今回の参拝会で清澄寺・千年杉と再会したが、これは15年ぶりのことになる。700年ぶりではない。()

 

1978.4.28千年杉は実は樹齢400年










































 

(継命に載っている千年杉)