■真宗・吉崎御坊1(蓮如)

 

□本願寺第8代法主蓮如の布教により本願寺教団が北陸に一大領国を形成する礎をつくった吉崎御坊

 

201432日、仏教宗学研究会で真宗寺院・吉崎御坊への参拝会を行った。私が吉崎御坊に来たのは、子供時代以来のことで、四十数年ぶりのことである。私は子どもの頃、父母に連れられて吉崎御坊に何度か来ているのを憶えているし、又、ここは、本願寺第8代法主蓮如ゆかりの地ということで、石川県、福井県地方では、知らない人がいないくらい有名な所で、小学生の修学旅行の定番コースになっていた。今の小学生の修学旅行は、ここに来ているのかどうかは知らないが、私にとっては、とても懐かしい寺院のひとつである。

吉崎御坊とは、本願寺第8代法主蓮如が文明3年(1471)5月北国に下向、同7月に吉崎御坊を開き、以後文明7年に吉崎を退去するまで、この地を拠点として盛んに布教活動を行い、本願寺教団が北陸に一大領国を形成する礎をつくった所。吉崎御坊は、越前国(福井県)の北端、北潟に突出した海抜約33メートルの「御山」に置かれ、開創当時は「御山」の奥に坊舎を構え、周囲に土塁をめぐらしたものと想定される。

蓮如が生まれた時の本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎず、他宗や浄土真宗他派、特に佛光寺教団の興隆に対し、衰退の極みにあった。蓮如は、そんな衰亡の一途にあった本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築いたことから、「本願寺中興の祖」と呼ばれる。

現在、吉崎御坊跡地には、浄土真宗本願寺派の別院が、東側に真宗大谷派の別院が置かれる。ともに「吉崎別院」と称するため、本願寺派の別院を「西御坊」・「(吉崎)西別院」、大谷派の別院を「東御坊」・「(吉崎)東別院」と通称される。また、「吉崎寺」(浄土真宗本願寺派)・「吉崎御坊願慶寺」(真宗大谷派)などの寺院、一般財団法人本願寺文化興隆財団(旧称・本願寺維持財団。浄土真宗大谷本願寺派)が運営する「吉崎御坊 蓮如上人記念館」がある。

吉崎御坊へは、仏教宗学研究会石川本部から車で出発。北陸高速自動車道を突っ走って加賀インターチェンジで降りて、数分の所である。場所的には、石川・福井県境を越えて福井県になる。

私が子どもの頃、両親に連れられて吉崎御坊に来た時は、門前の駐車場には、いっぱいの車が停まっていて、たくさんの人が参詣に来ていて、門前の店も、かなり賑わっていた記憶がある。

ところが2014年に参拝したときは、行事がない平日だったこともあってか、参詣者はほとんどなし。いっしょに参拝会に来た人も、「あれれ、ずいぶん寂れたもんだな」と言っていた。

かつて吉崎御坊には、真宗大谷派の寺院、本願寺派の寺院しかなかったが、数年前に「蓮如上人記念館」がオープン。かなり様変わりしていた。

 

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(吉崎御坊)

 

 

 

 

本願寺を日本最大の教団にし5度の婚姻・27子をもうけた蓮如の「蓮如上人記念館」を見学

 

なぜこの吉崎御坊の地に「蓮如上人記念館」が建てられているのか、というと、それはここ吉崎の地を開いたのが蓮如であること、本願寺教団を日本最大の信徒数を擁する巨大教団にしたのは、蓮如であること。そして蓮如は、本願寺中興の祖と言われるほど、本願寺教団の布教拡大に成功した人物である、ということ。真宗大谷派にしても本願寺派にしても、蓮如なくして本願寺教団を語れないほど巨大な存在である。

吉崎御坊の寺院参拝の後、一般財団法人本願寺文化興隆財団が運営する「吉崎御坊 蓮如上人記念館」を見学。記念館の係員の方が、実に懇切丁寧に、ひとつひとつの展示について説明をしていただいた。

さて蓮如というと、本願寺中興の祖といわれるほど布教に成功した人物であったが、もうひとつ、別の側面がある。それは妻の死別を4回に渡り経験し、生涯に5度の婚姻をしたこと。そして子は男子13人・女子14人の計27子を儲けたことである。年代別に見ると20代で1人、30代で5人、40代で7人、50代で4人、60代で3人、70代で4人、80代で3人の子供をもうけている。

驚くべき事に60代から80代にかけて10人の子供をもうけているから、すごいと言う以外にない。

ただ、蓮如は浮気はせず、全員正妻の子どもであった。蓮如が5人も妻をめとる事になったのは、妻に次々と先立たれたから。短期間のうちに妊娠出産を繰り返したため、妻が衰弱死したといわれている。

絶倫で有名なのは、徳川幕府11代将軍 徳川 家斉である。妻妾に50人以上の子どもを生ませたが、絶倫の源は、精力増強のためオットセイのペニスを粉末にしたものを愛飲していたからだという。別名「オットセイ将軍」と呼ばれていた。

「蓮如上人記念館」にも、蓮如が生涯で5度の婚姻をしたこと。男子13人・女子14人の計27子を儲けたことの展示があり、見学者は一様に驚いていた。

 

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(蓮如上人記念館)