■京都・南禅寺1(戒壇歴訪・湯豆腐)

 

□南禅寺宗務本所で南禅寺派管長戒壇訪問記・僧侶限定販売の本「戒壇歴訪」を購入

 

2012513日、仏教宗学研究会が行った「京都寺院・参拝会」の一環として、南禅寺「参拝会」を行いました。南禅寺とは、臨済宗南禅寺派大本山で、瑞龍山太平興国南禅禅寺という。開基は亀山法皇。開山は大明国師無関普門。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山、鎌倉五山より上に置かれる別格扱いの寺院。日本の全ての禅寺の中で、最も格式が高い寺院とされている。場所は、京都・東山の山の麓に面した所にある。京都市内を流れる桂川と東山の間に位置しており、JR京都駅からは、かなり離れた所にあります。

南禅寺は、「南禅寺前」の信号から、境内にむかって車が通行可能な参道がつづいており、これが南禅寺の実質的な表門になる惣門につなが゜っている。ここに「大本山南禅寺」の額が掲げられている。勅願禅寺となっっているが、皇室の菊の紋章が、どこにも見あたらない。

ここ南禅寺の本来の表門は、勅使門であるようで、境内は勅使門、三門、法堂、方丈が一直線上に配置されている。ここの勅使門は、ひときわ大きな勅使門で、大きさといい造りといい、同じ臨済宗大本山である大徳寺、天龍寺の勅使門に実に良く似ている。もちろんこの勅使門の通行が許されるのは、天皇の勅使のみで、一般の通行は許されていない。そのため、勅使門は普段は固く閉じられており、一般の参拝人は、勅使門の右横の惣門を通って境内に入る。

ここは、JR京都駅からかなり離れた所にあり、交通の便もあまりよくない所であるが、境内の駐車場には、大型観光バスが何台も停まっていて、大勢の観光客が来ている。三門や法堂の前では、たくさんの人が記念撮影をしていた。

さて、仏教宗学研究会の研究関連として、南禅寺の寺務所(宗務本所)で「戒壇歴訪」という冊子を買ってきた。これは南禅寺派管長猊下が自ら、奈良東大寺、下野薬師寺跡、九州太宰府・西戒壇・観世音寺、奈良唐招提寺、比叡山延暦寺を訪ねた時の訪問記をまとめた本である。この「戒壇歴訪」の本については、南禅寺にいく前、東京から予約の電話を入れていた。

当日、受付の寺務員の女性の話では、この「戒壇歴訪」は原則非売品で、しかも僧侶限定販売の本なのだが、ちょうど在庫があったので販売したとのことであった。南禅寺の寺務員の方には、丁重なお礼を申し上げた。仏教宗学研究会では、東大寺、下野薬師寺跡、太宰府・西戒壇、唐招提寺、比叡山延暦寺への参拝会を行ってきていますが、「戒壇歴訪」を読むと、「参拝会」の時には、わからなかったことが載っていたり、写真撮影禁止で、写真が撮れなかった所の写真が載っていたり、まことに貴重な資料である。

 

南禅寺29勅使門















 

(南禅寺勅使門)

 

南禅寺33総門















 

(南禅寺惣門)

 

0-0





































東大寺戒壇院多宝塔2























西戒壇本尊・盧舎那仏(戒壇歴訪)



















 

(「戒壇歴訪」)

 

 

 

 

□君子南面の南向きではなく西向き・西面して建てられている南禅寺の堂宇・伽藍・勅使門

 

仏教寺院の堂宇、伽藍は、通常は「君子南面」に則って、南面して建てられるのが通例であるが、南禅寺の堂宇は、すべて西向き、西面して建てられている。これは京都では天龍寺、妙伝寺、寂光寺などと同じである。南禅寺の場合は、東山の麓に建てられているので、南面では建てられなかったということだろうか。

南禅寺がこの地に建立される以前、ここには後嵯峨天皇が文永元年(1264)に造営した離宮・禅林寺殿があった。この離宮は、上の御所、下の御所に分かれ、上の御所につくられた持仏堂を南禅院と称した。現存する南禅寺塔頭・南禅院はその後身である。

亀山上皇は、正応2(1289)40才で落飾して亀山法皇になり、正応4(1291)、禅林寺殿を寺に改め、当時80才だった無関普門を開山にして、龍安山禅林禅寺と名付けた。

正安年間(1299-1302)に、太平興国南禅禅寺と改名した。

建武元年(1334)、後醍醐天皇は、南禅寺を五山の第一としたが、至徳3(1385)、足利義満が自ら建立した相国寺を五山の第一とするために、南禅寺を別格として、五山のさらに上位にして、京都五山、鎌倉五山に分割した。

明徳4(1393)、文安4(1447)に火災で焼失しているが、ほどなくして再建している。

しかし1467年から約十年つづいた応仁の乱の京都市街戦で、伽藍全てを焼失した。南禅寺の復興が成ったのは、江戸時代初期、慶長10(1605)に、金地院崇伝が入寺してから。金地院崇伝は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の側近僧侶で、外交、寺社政策に携わり、幕府から臨済宗寺院の総元締めである「僧録」という地位が与えられた。

南禅寺勅使門は、寛永18(1641)、京都御所の日ノ出御門を移築したもの。元々、南禅寺にあった門ではない。

南禅寺山門は、歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」の名セリフをまわす南禅寺三門として有名。ただし南禅寺三門は、石川五右衛門の死後、30年以上が経った寛永5(1628)に建築されたものである。

湯豆腐は、南禅寺周辺参道の精進料理が起源とされている。今でも南禅寺門前の周辺には、湯豆腐料理の店が、たくさん建ち並んでいる。

 

南禅寺24三門















 

(南禅寺三門)

 

南禅寺8















 

(南禅寺)

 

南禅寺4境内図















 

(南禅寺境内図)