■東京・泉岳寺1(赤穂浪士四十七士の墓所・忠臣蔵)

 

□元禄15(1702)「赤穂浪士討ち入り事件」の赤穂浪士四十七士の墓所があることで有名な東京・泉岳寺

 

20131126日に仏教宗学研究会で東京・泉岳寺の参拝会を行いました。

東京・泉岳寺とは曹洞宗の寺院であるが、一般的には、江戸時代・元禄太平の世であった元禄15(1702)1214日「赤穂浪士討ち入り事件」の赤穂浪士四十七士の墓所があることで、あまりにも有名である。ここには、元禄14(1701)314日の江戸城松之大廊下の刃傷事件を起こした浅野内匠頭長矩夫婦の墓所、大石良雄をはじめとする赤穂義士四十七士の墓所がある。東京の観光名所にもなっていて、今でもここは東京の定期観光バス「はとバス」の定番コースになっている。門前に、はとバスがよく停まっているのを見かけます。これがあるからか、平日でもたくさんの参拝客が来ています。ここの最寄り駅は、京急線、都営線の泉岳寺駅で、都営地下鉄と京急線がここで分岐する。京急線から都営地下鉄線に乗り入れる電車は、品川駅を出たところから地下に入り、泉岳寺駅から都営線に入る。京急線、都営線は、千葉方面は、北総線、京成線に乗り入れていて、泉岳寺駅は、城南のターミナル駅になっている。その泉岳寺駅から泉岳寺三門までは、徒歩で約3分くらいのところにある。

私がはじめて泉岳寺に来たのは、子どもの頃である。私の記憶では、たしか小学生低学年の頃。年末年始の家族旅行で、父母と私と妹の4人で来ています。あの当時は、金沢上野を走っていた夜行急行・能登号に乗って東京へ。能登号は、その後、電車になり2012年まで存続していた。私が子どもの頃は、電機機関車が牽引する客車急行で、寝台等の設備は無く、乗客は座席でうたた寝、ゴロ寝、ざこ寝をしていた。早朝に上野駅に到着して、はとバスに乗って泉岳寺に来たのが最初。はとバスは、私が子どもの頃からありました。

私が子どもの頃の夜行急行・能登号は、国鉄の客車で、しかも出入り口は自動ドアではなく手動だった。座席は4人がけだが、2人が向かい合って座るベンチシート。暖房機はベンチシートの座席下にあった。年末年始だから、真冬の最中。真冬の冷え切った中で列車に乗ると、確かに暖かい。しかしこれが2時間、3時間経ってくると、逆に暑くなってきて、座席で寝るには、実に寝苦しくなる。そこで暖房の温度を下げてくれるように父が車掌に言うと、車掌の返事は「車両全体の保温のため、この座席の暖房を入れて、他の座席の暖房を切っている。ここの暖房を切ってしまうと、車両全体の保温ができない」と言って断られてしまう。ところが座っている座席下の暖房は、とても暑くて座っていられないくらいヒートアップ。たまたま、隣の座席が空いていたので、隣の座席で寝た記憶がある。これくらい、当時の国鉄車両の設備はひどいもので、金沢~上野の旅は、たいへんなものだった。帰りは、上野~金沢まで7時間かかった特急白山で帰ったかな。

 

泉岳寺2




















泉岳寺8



















 

(泉岳寺)

 

縁由2



















 

(泉岳寺縁由)

 

 

 

 

□常に泉岳寺参拝人の線香の煙が漂っている浅野内匠頭長矩・赤穂義士四十七士の墓所

 

今でもはとバスのコースは、いろいろなコースがあるが、私が小学生の頃のはとバスにも、いろいろなコースがあった。泉岳寺見学がないコースもあったし、夜のコースというのもあった。それをなぜ父が泉岳寺へ行くコースを選んだのか、というと、父はあの当時から時代劇の大ファンで、中でも「忠臣蔵」の大ファン。忠臣蔵とは、元禄15(1702)1214日「赤穂浪士討ち入り事件」をドラマ化したもので、あの当時は、大人気の時代劇だった。時代劇のヒット作のNO1が忠臣蔵だった。

どれくらいの人気があったのかというと、1231日のNHK紅白歌合戦の視聴率が50%を越えていた時代、裏番組の民放各局は、毎年、忠臣蔵を放送していた。NHK紅白歌合戦の視聴率は、高度経済成長の時代は60-70%ぐらいあった。そんな時代の紅白の裏番組が忠臣蔵だった。

その忠臣蔵のモデルが赤穂浪士討ち入り事件であり、その赤穂浪士の墓所があるのが東京・泉岳寺である。

しかし今ではNHK紅白の視聴率も40%そこそこぐらいになり、紅白の裏番組に忠臣蔵が放送されることもなくなってしまった。今や地上波テレビで、時代劇が放送されることも少なくなってしまっている。もちろん、東京で生活していれば、泉岳寺駅もあるため、「泉岳寺」の名前は知っているが、「泉岳寺って、何が有名なんですか」という人が、実に多くなってきている。赤穂浪士や忠臣蔵の話をしても、「何ですか、それ」という返事が返ってくる。若い人の中で、赤穂浪士や忠臣蔵を全く知らない人が増えてきています。

赤穂義士四十七士の墓所は、参拝者の線香の煙でもくもく立ちこめているのは、昔も今も変わらない。私が東京に住むようになってからも、何度か泉岳寺に参拝に来ていますが、20131126日の前の参拝がいつだったか、記録も写真も残っていない。

赤穂義士四十七士の墓所に参拝する時の線香は、墓所前の売店で販売している。売店の男性の話によれば、赤穂義士四十七士の墓所も売店も、昔のままだという。赤穂義士四十七士の墓所は、平日でもたくさんの参拝人が訪れるため、常に線香の煙が漂っている。

泉岳寺にあるのは、浅野内匠頭長矩夫婦、浅野家、赤穂義士四十七士の墓所があるのであり、浅野邸、吉良邸があるのではない。浅野邸跡は、現在、東京・中央区の聖路加病院になっている。赤穂義士四十七士が討ち入りをした吉良邸跡は、東京・両国に「吉良邸跡」として残っている。

場所的には、東京・両国の回向院の近くになる。

 

赤穂義士墓地1




















 赤穂義士墓地3





















赤穂義士墓地4






















赤穂義士墓地6






















(赤穂義士四十七士の墓所)

 

浅野内匠頭墓所2




















 

(浅野内匠頭長矩の墓所)

 

大石良雄墓所1


































 

(大石良雄墓所)