■鎌倉収玄寺1(四条金吾の屋敷跡1)

 

□日蓮の信者・四条金吾頼基邸跡の霊跡と伝承している日蓮宗寺院・鎌倉・四条山収玄寺

 

収玄寺とは、正式名を四条山収玄寺という名の日蓮宗寺院。日蓮の信者であった鎌倉時代の武士・四条金吾頼基の屋敷跡と伝承されている。四条金吾邸跡の霊跡ということになっている。ここも、2011128日の仏教宗学研究会で行った「鎌倉参拝会」の時、参拝しています。

ここは、元々は収玄庵という建物で、本堂の額には「収玄庵」と書いてある。大正時代末期に、本堂を改築して寺号を公称したとのこと。収玄寺の「収玄」とは、四条金吾の法名・収玄院日頼上人に由来する。

本堂の入り口は閉まっていて、カギがかかっており、中を見ることができない。ネット情報によれば、ここの本尊は「久遠の本師釈迦牟尼仏及び日蓮聖人尊定の曼荼羅」となっている。 

収玄寺の案内板によると、ここ収玄寺は、四条金吾の屋敷跡となっています。又、境内には、「四条金吾邸跡」と書かれた石碑が建てられていて、東郷平八郎書となっている。

しかし収玄寺が建立されたのは、江戸時代後期の文政年間(1818-1830)の開創とのこと。四条金吾頼基は1224-1296の人だから、四条金吾没後、五百年以上経ってから建立されたことになる。

ここが四条金吾邸跡の霊跡と伝承されていたのだろうか。

ちなみに、四条金吾の墓所は、ここではなく山梨県南巨摩郡南部町内船の内船寺にある。

 

収玄寺3















 

(収玄寺)

 

収玄寺1















収玄寺5













































 

(「四条金吾邸跡」と書かれた石碑)