■鎌倉妙法寺1(松葉ヶ谷草庵跡自称1)

 

□日蓮「松葉ヶ谷草庵跡」とは認めていない(?)妙法寺にある鎌倉市教育委員会の立て看板

 

鎌倉妙法寺とは、日蓮「松葉ヶ谷草庵」跡を自称している日蓮宗寺院。楞厳山妙法寺という。日蓮の「松葉ヶ谷草庵跡地」としては、鎌倉・安国論寺以外にも、いくつかの説があり、そのうちのひとつが鎌倉・妙法寺である。日蓮事跡関連の調査も兼ねて、2011129日の仏教宗学研究会で行った「鎌倉参拝会」の時、参拝しています。妙法寺の境内の入り口には受付があり、女性が一人居て、拝観料を支払い、パンフレットを受け取って見学するのは、他の寺院と同じ。三脚、一脚持ち込みの写真撮影禁止の立て札が出ていました。

妙法寺の堂宇・伽藍はかなり古びており、本堂前には賽銭箱もありますが、かなり古びている。というか、この寺院、行事が行われている形跡がありません。境内の清掃はなされていますが、堂宇はずいぶん昔に建てられた建物のままという感じに見える。一見して、なんとなく雰囲気がおかしな寺院に見える。

 

妙法寺8















妙法寺11















妙法寺12















 

(妙法寺堂宇・本堂)

妙法寺の境内は、山の麓にあり、妙法寺が「松葉ヶ谷草庵跡」と自称している所は、階段をどんどん上がって、山の中腹のような所にありました。けっこう長い階段を登って、降りてきたので、汗びっしょり。けっこうクタクタに疲れ果ててしまいました。

 

妙法寺7














































妙法寺9













































 

(自称・松葉ヶ谷草庵跡につづく長い階段道)

妙法寺は、日蓮松葉ヶ谷草庵跡地ということで、境内の山の中腹あたりに、小庵跡の碑が建てられている。しかしこれは妙法寺で建てた碑であり、鎌倉市教育委員会が建てたものではありません。ここ妙法寺には、鎌倉市教育委員会の立て看板・案内板は建てられてはいるが、「松葉ヶ谷草庵跡地と伝承」と書いている。

 

妙法寺4















妙法寺6















 

(松葉ヶ谷小庵跡の石碑)

 

妙法寺16















 

(鎌倉市教育委員会が建てた立て看板)

「松葉ヶ谷草庵跡の霊跡」と書いた鎌倉市教育委員会の立て看板は、ここではなく鎌倉・安国論寺にある。ということは、鎌倉市教育委員会が「松葉ヶ谷草庵跡地」と認めた所は、妙法寺ではなく、安国論寺ではないのか。妙法寺が松葉ヶ谷草庵跡地だとする説は、妙法寺が自称しているだけである可能性が高い。

 

安国論寺15















 

(安国論寺にある鎌倉市教育委員会の立て看板)

 

 

 

 

□江戸時代安永年間から妙法寺・長勝寺で論争があったが結論は出ていない「松葉ヶ谷草庵跡地」論争

 

フリー百科事典・Wikipediaによれば、「松葉ヶ谷」とは、こう書いてある。

「松葉ヶ谷(まつばがやつ)は、神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域名。建長5年(1253年)に日蓮が、安房国清澄寺から鎌倉に入り、松葉ヶ谷草庵(後に法華堂と号する)を構えた場所。その後、文永8年(1271年)(龍ノ口の法難)までの約18年間、日蓮の布教活動のための起居の場所となる。また、文応元年(1260年)に『立正安国論』を著した場所。

「草庵跡」は、妙法寺(日蓮在住19年の旧跡で、日蓮宗最初の寺。)、長勝寺(日蓮の庵室跡で、日朗、日印、日静が住居とし、本圀寺の前身となった寺。)、安国論寺(立正安国論を著した岩窟がある寺。)の三寺である。江戸時代の安永年間(1772 - 1780年)頃、妙法寺と長勝寺の間で松葉ヶ谷の法難の旧跡を巡って論争が起こり、20年以上争われたが、結論が出なかったといい、正式な跡地は確認されていない。建て直しや、流罪の前後で移転があったとも考えられている。

(フリー百科事典・Wikipedia「松葉ヶ谷」)

これによれば、妙法寺、長勝寺で江戸時代にどちらが「松葉ヶ谷草庵跡地」であるかについて論争が行われたが、結論は出なかったという。ならば、鎌倉市教育委員会は何を根拠として、安国論寺を「松葉ヶ谷草庵跡地」と認定したのか。単に寺伝だけを根拠にしたということか。それではあまりにも根拠が薄弱過ぎないだろうか。

 

妙法寺14















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(鎌倉妙法寺)