■鎌倉妙法寺2(松葉ヶ谷草庵跡自称2)

 

□「若い僧侶に聞いて下さい」と言いながら若い僧侶との面会を拒否した鎌倉妙法寺の受付女性

 

それともうひとつ疑問に思ったのは、受付でもらったパンフレットの中に、妙法寺堂宇の中に

「御分骨塔 当山開山日蓮大聖人、二祖日朗上人、三祖日印上人、四祖日静上人の御供養塔」

と書いてあることである。このパンフレットをそのまま読むと、妙法寺の分骨塔には、日蓮、日朗、日印、日静の分骨が供養されていると読める。日朗、日印、日静の分骨は、さておくとして、日蓮の分骨が妙法寺に蔵されているというのは、全く初耳である。身延山久遠寺の日蓮真骨の分骨は、京都妙伝寺、鎌倉本覚寺にあるとは聞いているが、鎌倉妙法寺にあるというのは、今まで全く聞いたことがなかった。ここは、松葉ヶ谷草庵跡地のこと、分骨塔のことについては、僧侶に聞いてみるしかないと思い、受付を再訪した。受付で「僧侶の方にお聞きしたいことがあるので、僧侶の方とお話しができませんか」と聞いてみた。すると、受付の女性は「何をお聞きになりたいのですか」と言う。これは、私は、僧侶に直接質問する前に、受付で事前に僧侶に聞く質問の内容を言え、という意味に受け取った。

「それならば」と思い、この寺院の行事のこと、境内の中にある鎌倉市教育委員会の立て看板には「松葉ヶ谷草庵跡地と伝承」と書いてあるだけで、「松葉ヶ谷草庵跡の霊跡」とは書いてない。ここは学術的に「松葉ヶ谷草庵跡地」とは認められていないのではないか。そして、パンフレットにある「分骨塔」に蔵されている分骨に中に、日蓮の分骨があるのかどうかを質問したいと言った。

すると受付の女性は、全く要領の得ない返事を繰り返すばかり。「鎌倉市教育委員会の立て看板ですかあ。何ですかそれは」などと言っている有様。それで私としては、この女性が、鎌倉市教育委員会の立て看板を知らない人なのか、と思い、安国論寺、長勝寺、日蓮辻説法跡などの鎌倉市内の日蓮旧跡には、鎌倉市教育委員会の立て看板が建てられていること。鎌倉市教育委員会が日蓮「松葉ヶ谷草庵跡の霊跡」として立て看板を出している所は、鎌倉・安国論寺であることを言った。しかしそれでも、この女性、まるでチンプンカンプンなことを言うだけ。そして「そういうことは、あっちで聞いて下さい」「これは、こっちに行って聞いて下さい」という「逃げ」の答えを言い始める。何とかして、答えをはぐらかそうとしているように見えた。

私としては、僧侶に質問したいのだが、この女性が「質問の内容を言え」と言うから、質問の内容を受付女性に言ったまでで、受付女性に質問したわけではない。

あまりにもラチのあかない返事を繰り返すので、私は、「私はあなたに質問したいのではない。私が住職に直接質問しますから、住職に会わせて下さい」と直言した。

すると受付女性は、「今は、ご住職はご病気で入院されていまして、ここには居ないんです」と言う。「本当ですかね」。何か、この受付女性、私を住職と故意に会わせるのを避けているように見えた。ひょっとして居留守か(?)

「住職がいない(?)。そんなはずはないでしょう。住職がいないんだったら、寺院の行事もできないし、什宝管理も何もできないじゃないですか」と、ちょっときつめに直言した。すると

「本当にご住職はいないんです。今はお寺の行事は行われていません。留守を預かっている若い僧侶の方は、いらっしゃいますが」

「パンフレットにある分骨が、日蓮聖人の分骨かどうかについては、ここにいらっしゃる若い僧侶の方にお聞きになって下さい」などと、都合良くはぐらかしの回答を言うだけ。そこで私は

「じゃあ、その若い僧侶と会わせて下さい」と直言。すると、受付女性は、しばらく黙ったあと、何と

「それは、できないですね」と拒否回答をしたのである。自分で若い僧侶に聞けと言っておきながら、じゃあ、その若い僧侶と会わせて欲しい、と言うと、拒否回答。どうなってんの、という感じである。

 

妙法寺22


















 

(妙法寺が出しているパンフレットに書いてある「分骨塔」)

 

 

 

 

□鎌倉妙法寺パンフレットの「分骨塔」に日蓮真骨の分骨はないことを認めた鎌倉妙法寺の僧侶

 

「事前に僧侶に対する質問を言え」と言うから、質問内容を受付女性に言うと、「それはあっちに聞いてくれ」「これはこっちに聞いてくれ」を繰り返す。「住職に直接質問するから、住職に会わせて下さい」と言うと、「住職は病気で入院していて、ここには居ない。留守番の若い僧侶に聞いて下さい」と言う。「それでは、留守番の若い僧侶に聞くから、若い僧侶に会わせて下さい」と言うと、何と「それはできない」と拒否回答。どうにも、私と僧侶を会わせたくないらしい。そこでこう言った。

「あなたも受付に居るということは、妙法寺の一員ということでしょう。寺院として質問に回答することに責任を持ちなさいよ。私と若い僧侶を会わせることはできないと言うなら、あなたが若い僧侶に聞いてきて下さい」…

すると受付の中年女性は、しばらく黙っていましたが、「わかりました。じゃあ、聞いてきます」と言って、庫裡の方に歩いて行った。すると、その女性が庫裡にたどり着く前に、庫裡の戸が開いて若い僧侶が顔を出して、女性と何やら話し始めたのである。どうやらこの若い僧侶は、私と受付女性のやり取りを庫裡で聞いていた様子。だったら、どうして庫裡から出てきて、自分で回答しないのか。参拝人の質問には、答えたくないというのだろうか。

受付女性は僧侶に聞いた後、また私の所に来て「今、聞いてきました。分骨というのは、日蓮聖人のご遺骨の分骨ではなく、他の上人の分骨ということでした」

「松葉ヶ谷草庵跡地の件は、鎌倉市教育委員会の立て看板があるなしに関わらず、当寺としては、松葉ヶ谷草庵跡地であるということを名乗らせていただいているということです」…

これで質疑応答は、実質的に終わったのだが、この答えが出てくるまで、かなりの時間を費やした。さらに出てきた回答も、核心をぼやかしたような回答である。分骨塔のパンフレットの文は

「御分骨塔 当山開山日蓮大聖人、二祖日朗上人、三祖日印上人、四祖日静上人の御供養塔」

とあり、日蓮真骨の分骨が蔵されているように読める。日蓮真骨の分骨など納められていないのに、そういうことを承知の上で、パンフレットには日蓮真骨の分骨がさも納められているかのような文を載せておいて、「日蓮真骨の分骨があるんですか」と問われると、「いや、他の上人の分骨です」と答えたのではないか。なんとなくダークな印象を持ちました。

鎌倉妙法寺の実質的な開山は日蓮より数えて第5世となる楞厳法親王妙法房日叡(りょうごんほうしんのうみょうほうぼうにちえい)。後醍醐天皇の子・護良親王と藤原保藤の娘・南方(みなみのかた)の間に生まれた日叡は日蓮を偲び、かつ父・護良親王の菩提を弔うためにこの地に堂等伽藍を建て、自身の幼名である楞厳丸(りょうごんまる)にちなみ楞厳山法妙寺と名付けた。境内奥右手山頂には護良親王の墓が、左手山頂には母・南方と、日叡自身の墓がある。開山の因縁を見れば、松葉ヶ谷草庵跡地とは関係なく、護良親王の菩提を弔うための寺院のように見受けられる。しかしその護良親王御墓とされるものは鎌倉市二階堂の理智光寺跡にもあり、そちらが正式な墓として宮内庁管理下にある。そうすると、護良親王墓も、何やら疑わしいものに見えてくる。

 

妙法寺14















 

(妙法寺表門)

 

妙法寺13















 

(妙法寺入り口の受付)