■鎌倉円覚寺1(北条時宗の墓所1)

 

□明治政府の強引な鉄道敷設により横須賀線によって境内が南北に分断されている鎌倉・円覚寺

 

円覚寺(えんがくじ)とは、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元。なお寺名は「えんがくじ」と濁音で読むのが正式である

鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建した。鎌倉時代を通じて鎌倉幕府・北条氏に保護された。弘安5年(1282年)の開創だから、日蓮が「十一通御書」を鎌倉各所に送ったとき、この寺院はまだ存在していなかった。倉にはすでに時宗の父・北条時頼が創建した禅寺の建長寺が存在していたが、官寺的性格の強い同寺に対し、当初の円覚寺は北条氏の私寺であった。ここには、2011213日に行われた仏教宗学研究会の「鎌倉参拝会」の時に、参拝しています。

仏日庵(ぶつにちあん)は、鎌倉幕府8代執権北条時宗の廟所(開基塔)である。9代執権貞時・14代執権高時もここに合葬されている。

円覚寺は、JR横須賀線北鎌倉駅の出入り口のすぐ前にある。というより、円覚寺の門前に北鎌倉駅を造ったと言ったほうが、正鵠を得た言い方ではないだろうか。しかも、円覚寺表門前に広がっている円覚寺庭園が、もろにJR横須賀線によって分断されてしまっている。庭園から円覚寺に入っていくには、JR横須賀線の踏切を渡らないと行けない。JR線は、1985年の国鉄分割・民営化以前は、国鉄線だった。ということは、国家権力によって、強引に円覚寺表門のすぐ前に鉄道を敷設したということであろう。見ていて、「結構、強引に権力によって鉄道を敷設していったんだなあ」ということがわかる。国鉄横須賀線・大船横須賀間が開通したのが、1889年(明治22年)616日のこと。北鎌倉駅が開業したのが、1927年(昭和2年)520日のこと。まさに日本政府が強引に鉄道を全国に敷設していった時代のことである。

こういう事例は、全国各地にありますね。例えば、日蓮宗大本山・北山本門寺も。仁王門と塔頭の間を国道469号線が横切っている。国道が北山本門寺境内を分断している。同じように、大石寺も国道469号線が三門前を横切ることによって、大石寺境内が南北に分断されている。東京芝・増上寺も、三門と芝大門の間を日比谷通りが横切っている。

そうはなっていない事例もある。今の東京・上野公園は、かつて全てが上野・寛永寺の境内だったが、東北線、高崎線、山手線、京浜東北線は、寛永寺、上野公園の外側を這うように走っていて、上野公園を横切っていない。上野駅も、上野公園の外側に設けられている。

 

円覚寺33




















円覚寺23














































円覚寺22













































 

(円覚寺)

 

円覚寺28庭園















 

(円覚寺前踏切)

 

 

 

 

2011213日に行われた仏教宗学研究会の伝北条時宗墓所がある鎌倉・寿福寺参拝会

 

円覚寺塔頭・仏日庵は、北条時宗の廟所である。円覚寺の立て看板には、「12 仏日庵(開基廟)」「開基廟 当山を開かれた方の正式な墓所」とある。円覚寺を開いた人とは、北条時宗である。北条氏滅亡後は衰退したが、室町時代に鶴隠周音が再興して塔頭とした。境内の茶室烟足軒は、鶴隠周音の寮舎(隠居所)の名を継いだもので、500円で抹茶セットがいただける。

円覚寺の広大な境内は、整備、手入れが行き届いていて、まことに人工的な景観美は見事なくらい。これは臨済宗、曹洞宗といった禅宗系寺院独特の景観美である。庭園、石畳、石段、手すり、木の手入れが、見事なくらいに行きとどいている。まさに綺麗すぎるくらいに人工的な景観美は見事と言う以外にない。鎌倉市内にも、禅宗系寺院がいくつもあるが、代表格の建長寺よりも、円覚寺のほうが境内は広い感じがする。

 

円覚寺8仏日庵
















円覚寺7仏日庵















円覚寺6仏日庵













































 

(円覚寺仏日庵)

 

円覚寺3庭園















 

(円覚寺庭園)