■鎌倉円覚寺2(円覚寺舎利殿特別公開1)

 

201355日に仏教宗学研究会が行った鎌倉・円覚寺舎利殿特別公開・参拝会

 

円覚寺舎利殿とは、神奈川県唯一の国宝。境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があり、その左右に地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。かつては鎌倉時代の建築と考えられてきたが、規模・形式が近似する正福寺地蔵堂が室町時代の応永14年(1407年)の建立とされたことから、同じ頃(15世紀前半)の建築と考えられている。また、鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものと推定されている。通常は非公開で、正月3が日と113日前後に外観のみが公開される。201353-5日にかけて、円覚寺舎利殿特別公開が行われ、55日に仏教宗学研究会で参拝会を行いました。

円覚寺の寺伝によれば、円覚寺舎利殿には、釈迦如来の仏牙が納められているという。舎利殿の山門前には、「仏牙舎利殿」の石柱があるが、舎利殿一帯は、修行僧の専門道場になっていて一般参拝者は立ち入り禁止になっている。仏教徒にとって、仏舎利(釈迦如来の骨)に対する尊崇の念は厚く、各地に仏舎利塔として祀られていることが多い。中でも仏牙舎利(釈迦如来の歯)は、殊に尊重されている。

円覚寺の仏牙舎利は、円覚寺史によれば、宋の能仁寺のものを、源実朝が奏請して鎌倉大慈寺に安置したが、同寺退転ののち、北条貞時が円覚寺内に舎利殿を建てて、遷座したものであるという。その後、戦乱によって他に移されたこともあるが、応仁の乱後に、再び円覚寺に復されることになる。鎌倉では、ある日、天から仏牙が降って自ら円覚寺に帰ってきた、などという伝説すらあるというのである。

円覚寺舎利殿前の立て看板には

「舎利殿(昭堂) 源実朝が中国能仁寺より請来した仏舎利(釈尊の遺骨)を奉安するお堂である。建物は、唐様建築の典型として国宝に指定されている。舎利殿の後方には、開山堂や開山塔があり、全域は修行僧の専門道場で禅堂を中心に厳しい修行が行われている」

と書いてある。

 

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(円覚寺舎利殿前の立て看板)

 

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(円覚寺舎利殿特別公開)

 

 

 

 

□円覚寺舎利殿の仏舎利は「ガラスの破片か他人の骨の類のもの」と言った神奈川県立歴史博物館の学芸員

 

日本では、仏舎利を尊重したり、各宗総本山・大本山が宗祖の遺骨を祀って尊重するのは、普通にどこの宗派でも行っている。知恩院は法然、大谷本廟は親鸞、比叡山延暦寺は伝教大師最澄、高野山金剛峯寺は弘法大師空海、福井・永平寺は道元禅師、身延山久遠寺、池上本門寺は日蓮である。宗祖の真骨を尊重し格蔵していること自体が、仏教的権威になる。

ではそれらの宗祖の真骨とされているものは、本当に宗祖の真骨に間違いはないのか。そういう問題が出てくる。

神奈川県立歴史博物館に円覚寺舎利殿内部の当寸復元模型があり、常設展示されている。そこで神奈川県立歴史博物館を訪ねた時、学芸員の方と話しをする機会があり、学芸員の方に「円覚寺舎利殿の仏舎利は、本当に釈迦牟尼の遺骨なのですか」と質問したことがある。

それに対する学芸員の方の答えは、

「いいえ、ガラスの破片とか、他人の骨とか、そういうものらしいですよ。でも昔は『これはお釈迦様の舎利、仏舎利なのだ』と言えば、みんな手をあわせたのですよ。それが信仰ですから」…。

つまり円覚寺舎利殿の「仏舎利」とはあくまでも寺伝であり、科学的に「釈迦如来の仏牙」と証明されたものではないのである。

 

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(円覚寺舎利殿)