■佐野厄除大師・惣宗寺1(佐野ラーメン・露店1)

 

□境内に露店、周辺に佐野ラーメンの店が建ち並び多数の参詣を集める佐野厄除け大師・惣宗寺

 

栃木県佐野市にある佐野厄除大師は、川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師として有名。年末年始に関東地方を中心にして、佐野厄除け大師のテレビCMが流れるため、関東地方の人には広く知られている寺院。佐野厄除け大師とは、名前だけ聞くと神社のように聞こえてしまうが、ここは神社ではなく、天台宗寺院である。正式名は春日岡山転法輪院惣宗官寺という。ここは平安時代の末期、平将門討伐を命じられた藤原秀郷の戦勝祈願により、937(承平7)年に創建された。比叡山延暦寺18代座主・良源(慈恵大師・元三大師)を本尊として祀る。本尊は如意輪観音、元三大師。1913(大正2)1012日、足尾鉱毒事件判決に尽力した田中正造の本葬が行われた。ここも毎年正月には、初詣の参拝人が大勢訪れることでも有名。ここは2012113日、仏教宗学研究会で参拝会を行っています。仏教宗学研究会の参拝会の日は、普段の平日でしたが、たくさんの参拝人が来ていた。厄除け祈願で参拝する人が多いようですね。

寺院境内には、テキ屋の露店が建ち並んでいる。参拝会の日は、大きな法要や行事がなかった日だったのですが、そういう日にテキ屋の露店が並んでいるということは、ここには露店が常設されているということか(?)。ということは、ここもかなり参詣人が多い寺院ということでしょう。

佐野厄除け大師の門前には、佐野ラーメンの店が軒を並べている。佐野ラーメンとは、有名なご当地ラーメン。佐野にある佐野ラーメンの店は、戦前からつづいている店が多いとのこと。

もともと佐野市という土地は、湧き水にめぐまれ、麺の原材料である小麦の産地であったことから、佐野ラーメンの店が増えていったといわれている。JTBハンドブックの記述によれば、昭和初期には、ラーメン店が150軒ほどあったらしいのですが、これが2012年現在で、230軒ほどに増えているとのこと。ラーメン店は増えているようですね。参拝会の日に佐野ラーメンを食べましたが、なかなか美味しいラーメンでした。

佐野という所は、関東平野のほぼ真ん中に位置している。東京から佐野に行くとなると、なかなかこれが不便である。佐野市の中心駅は、佐野駅だが、ここにはJR両毛線と東武線が乗り入れていて、駅舎も新築の橋上駅舎になっている。

ところがここへ東京から行くとなると、東京駅からJR東北新幹線、在来線だったら上野・東京ライン、湘南新宿ラインに乗ってJR小山駅で下車。JR小山駅でJR両毛線に乗り換え。

東武線で行くと、浅草・北千住から特急りょうもう号に乗って館林駅で下車。館林で東武佐野線の電車に乗り換えなくてはならない。しかも館林駅では、特急りょうもう号と佐野線の電車は、全然接続しておらず、30分以上もここで時間が空いてしまう。これは不便ですね。

 

佐野厄除大師5















佐野厄除大師1















 

(佐野厄除け大師・惣宗寺)

 

佐野ラーメン1















佐野ラーメン3















 

(佐野ラーメン)

 

 

 

□開創1000年を越える歴史がある佐野厄除け大師・惣宗寺の歴史は厄除けの権威か(?)

 

佐野厄除け大師は、関東の厄除けとして昔から有名な寺院で、たくさんの人が参詣に来る寺院である。開運とか厄除けとか家内安全とか交通安全とかは、一般庶民が心の中で誰でも願っていることである。男の厄年、女の厄年、前厄、後厄等があり、誰でも「今年は厄年ですね」と言われれば、厄がないことを願うのは普通のことだと思う。そうすれば、厄除けのために神社仏閣に参詣しようとする。これは人として普通のことだと思う。

「人はなぜ寺院に参詣するのか」というテーマで考えた場合、ひとつの示唆にとんでいると思う。

ではなぜ厄除けのために佐野厄除け大師に参詣するのか。理由の一つは、やはり「歴史」ではなかろうか。創建が937年だから、2019年で1082年になる。鎌倉仏教よりも歴史が古い。伝統仏教の場合、歴史というひとつの権威がある。歴史、霊跡、霊廟、霊骨、重宝等々、こういったものが、そのままその宗派や寺院の権威になる。ここは厄除けの権威がある、ということだろうか。

 

佐野厄除大師14














































佐野厄除大師15















 

(佐野厄除け大師・惣宗寺)