■仙台松島・瑞巌寺1(寺位牌・板位牌1)

 

□仙台62万石の大名・初代仙台藩主・伊達政宗の菩提寺として中興された仙台松島・瑞巌寺

 

仙台松島・瑞巌寺は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院で正式名は松島青龍山瑞巌円福禅寺という。この寺院は平安時代の創建で、天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷している。ここは、20071010日に仏教宗学研究会で参拝会を行ったときに参拝している。もちろん、東日本大震災の前である。

2007年当時、JRグループではまだJR周遊きっぷを販売していて、その中に「仙台・山形ゾーン券」というのがあった。これはゾーン内、期限内であれば、JRの列車は乗り放題。そういうJRゾーン券を利用した参拝会で、日本三景の松島遊覧船に乗ったり、瑞巌寺の他にも、あっちこっちを廻った。瑞巌寺は、JR仙石線・松島海岸駅から徒歩で5-6分の所にある。海岸線からかなり近いところにあるため、2011311日の東日本大震災の津波被害が心配されたが、危うく難を逃れたとのこと。瑞巌寺は国宝であり、貴重な文化財も多いため、大津波で流されてしまったら、それこそ大変な事態になるところだったが、難を逃れたのは幸いなことである。ただし、参道の杉並木は津波の被害に見舞われ、その後の塩害で立ち枯れたため、伐採されている。

この瑞巌寺は、戦国・安土桃山・江戸時代の武将・伊達政宗の菩提寺である。あの独眼竜の異名を持つ片目の武将である。子どもの頃、天然痘を患い、そのために独眼竜になったと伝承されている。もともと伊達政宗は、奥州伊達氏16代当主で、仙台藩初代藩主。1584年に家督相続。仙台城を拠点にして150万石以上の領地を有する奥州最大の戦国大名だった。ところが1590年の豊臣秀吉の小田原征伐に遅参したため、奥州仕置によって150万石から75万石に減封。さらに60万石に減封された。1598年の豊臣秀吉死後、東北の上杉景勝が徳川家康に反旗を翻す形で1600年、徳川家康と石田三成の関ヶ原の合戦が起きる。このとき、伊達政宗は徳川家康に味方して、東北の石田三成に味方した大名に討伐軍を出す。関ヶ原の合戦後、62万石に加増される。

加賀前田家102万石、薩摩島津家75万石に次ぐ全国大名第三位の石高になる。

さらにその後の大坂の役でも、徳川家康に味方して従軍する。伊達政宗は、豊臣秀吉在世の時代は豊臣秀吉に臣従し、その後、徳川家康の天下になると、徳川家康に臣従。徳川家康、秀忠、家光の三代の将軍に仕えた。外様大名ながら、徳川三代将軍に仕えたのであったが、徳川将軍家との関係が良好だったのかどうかは、疑問符が付く。徳川家康と伊達政宗の関係は、必ずしも良好とは言えないものがあり、大坂の役の後、徳川家康は伊達政宗討伐を企図していたという説もある。NHK大河ドラマ「葵徳川三代」も、この説を採っている。

徳川家康以降の将軍も、仙台伊達藩に対する監視を強め、東北を旅した松尾芭蕉は、徳川幕府が派遣した隠密だったという説もある。

 

瑞巌寺3











瑞巌寺1










 

 

(瑞巌寺)

 

 

 

 

□初めて日蓮正宗系、富士門流系の板本尊そっくりの寺位牌、板位牌を見学した松島・瑞巌寺

 

仏教宗学研究会の参拝会で注目したのは、ここに巨大な位牌、寺位牌、本位牌、板位牌があったこと。「日蓮正宗系、富士門流系の板本尊そっくりだな」と思ったのは、ここで巨大位牌を見たときに思ったのが最初である。ただし、瑞巌寺自体は伊達政宗が中興した寺院であるので、ここの寺位牌、板位牌が鎌倉時代、室町時代のものかどうかは判断できない。そうではない可能性が大である。しかしここの日蓮正宗系、富士門流系の板本尊そっくりの寺位牌、板位牌を見学したことがきっかけになり、臨済宗、曹洞宗の寺位牌、板位牌を調査しようということになり、福井永平寺、能登総持寺祖院でさらに日蓮正宗系、富士門流系そっくりの寺位牌、板位牌を発見することにつながった。

瑞巌寺参拝の後、仙石線の電車に乗って松島から石巻、女川まで足を伸ばした。仙石線は、太平洋の海っぺりを走って行くので、太平洋の絶景が堪能できる。途中、陸前山下駅で日本製紙石巻工場の石巻港線へ、ディーゼル機関車に引かれた貨物列車が出入りするのが見える。仙石線は電化されているが石巻線は全線非電化。石巻線の終点が女川駅。石巻線は東日本大震災で全線不通になっていたが、2015321日に全線が復旧した。仏教宗学研究会の参拝会でここに行ったのは、東日本大震災の前である。

女川というと、女川原発が有名だが、元々は女川漁港の町で、大きな市場もある。女川漁港のすぐ近くの寿司店に入ったのだが、さすがに寿司ネタが新鮮。絶品のおいしさだった。東京にも東北地方の新鮮な魚類が入ってきているが、トラックで運搬して築地、豊洲の市場に並び、そこで取引されてから寿司店、魚店、スーパーマーケットの店先に出てくる。だから女川漁港の店に比べると、どうしても最低でも1日余計にかかるため、どうしてもその分、鮮度が落ちる。つまり女川漁港の店では、東京の寿司店と比べて、トラックで運搬して市場で取引する時間が必要ないから、1-2日分鮮度がいい寿司が味わえるのである。ここも東日本大震災で大きな被害を受けたと聞いているのだが、あの美味しかった寿司屋さんは、今も元気でいらっしゃるのだろうか。

尚、瑞巌寺は201812月、「平成の大修理」が完成している。

 

2018.12.25瑞巌寺平成の大修理完了1


















2018.12.25瑞巌寺平成の大修理完了2


















 

(瑞巌寺・平成の大修理完成の新聞広告)