■川崎大師・平間寺1(仲見世通り・護摩行参拝1)

 

□川崎大師平間寺の多くの参詣人で大賑わいに賑わっている平間寺「仲見世通り」の商店・売店

 

平間寺とは、通称名・川崎大師の名で呼ばれている真言宗智山派大本山。正式名は金剛山平間寺。院号は金乗院。私は「川崎大師」の名前をはじめて聞いたとき、「ここは神社なのかな」と勘違いをしてしまったが、神社ではなく仏教寺院である。真言宗智山派とは、この宗派は、成田山新勝寺と同じである。ここも関東地方における初詣のメッカである。ここは、仏教宗学研究会で2012114日に参拝会を行っている。

成田山新勝寺は、東京からかなりの遠隔地にあり、最寄り駅の成田駅にたどり着くまで、かなりの所要時間がかかってしまうが、平間寺はわりと東京から近い。ここの最寄り駅は、京急・大師線の川崎大師駅。これは京急川崎駅から分岐する支線で、かつての京浜工業地帯沿いに走る鉄道。

京急線とか京急川崎駅というと、関東でもなじみが薄い人がいるかもしれないが、京急線は、品川から川崎、横浜の間、JR東海道線、京浜東北線とほぼ並行して走っている。品川と横浜は、JRと京急線が同じ駅で乗り換えができる。JR川崎駅と京急川崎駅は、別の駅だが目と花の先にある。それこそ歩いて3-4分もかからないくらい。だからJR川崎駅と京急川崎駅の乗り換えも充分に可能。ちょうどJR大阪駅と阪急梅田駅、阪神梅田駅のような感じである。

京急川崎大師駅で降車して平間寺総門の入り口に行くには、かなりまわりこまなくてはならない。まわりこんで行くと、仲見世通りの入り口があり、総門前まで、賑々しい商店街・売店街が連なっている。平間寺の仲見世通りも、一際、賑やかな商店街である。どの店も、新築された真新しい店が並んでおり、店の前には、商品が山のように積まれている。ここは、みあげもの店、菓子店が多いように思う。平間寺も、普段から参詣人が多いようで、店主の威勢のいい掛け声が通りに飛び交い、どの店も商売繁盛しているように見える。平間寺に行くには、必ずこの仲見世通りを通っていかないと、平間寺境内に入れない。ここがミソである。ということは、平間寺に参詣する人の大半が、ここ仲見世通りを通っていくことになるわけで、それではここで買い物をする人は、多いのでしょうね。

ちょうど仏教宗学研究会の参拝会の日、境内で猿まわしの曲芸をやっているのを見かけた。この猿まわしの曲芸といい、大賑わいの仲見世通りといい、やはり、これも川崎大師平間寺の参詣人が普段から多い証左ということではないか。

平間寺も、明治神宮、成田山新勝寺等と並ぶ、関東地方の初詣のメッカである。ではなぜここが、参拝人が多いのか。これは、成田山新勝寺のケースと同じで、江戸時代に行っていた「出開帳」の成功である。平間寺には普段から多数の参詣人が訪れているが、これはやはり関東地方に川崎大師詣でが大衆文化として定着していることはさることながら、自然発生的に「川崎大師詣で」が起きていることは見逃せない。このルーツをたどれば、江戸時代の「出開帳」の成功にまで遡るということである。


川崎大師仲見世2




















川崎大師仲見世4



































川崎大師仲見世5




















 

(川崎大師平間寺・仲見世通り)

 

平間寺1




















 

(平間寺大山門)

 

 

 

□日蓮正宗系の勤行・読経は大衆に定着していないが真言宗の護摩行参拝は一般大衆文化として定着している

 

平間寺の中心堂宇は、大本堂で本尊は弘法大師空海像。大本堂の午後の護摩行に参拝してきました。仏教宗学研究会の参拝会は、平日に行ったのでしたが、けっこうたくさんの参拝があり、内陣中央の護摩行参拝の長い行列ができていた。こういう光景は、仏教各宗派の法要に行くと、よく見かける光景である。平間寺の護摩行も、僧侶の出仕のもと読経と護摩行が行われるわけだが、関東では平間寺、高尾山、成田山新勝寺等、護摩行参拝が大衆文化として定着している。

仏教宗学研究会では、仏教修行と大衆文化の関係について、いろいろと論じてきている。仏教文化の中にも、大衆文化として定着しているものもあれば、定着していないものもある。

そういう中で、仏教経典を読誦する「読経」については、これは僧侶の修行であって、大衆文化として定着するものではないと書いている。

日本の仏教界で、初詣、御会式、三社祭、御開帳等々、一般大衆に参拝が定着しているものがあるが、それらはいずれも大衆が、お賽銭を投入して参拝するのが大半。大衆の読経など皆無である。某宗派や某教団では、「信者も読経ができなければダメだ」として、自宗の信者に無理やり読経を押しつけているようだが、これも信者のほうは、勤行さぼりまくりで、全然定着していないのである。平間寺の護摩行の場合も、護摩行そのものを行っているのは僧侶であり、一般の参詣人は、護摩行に参拝するだけである。こういう形で、大衆文化として定着しているのである。

仮に、僧侶が一般大衆に無理やり「護摩行をやれ」などという布教をやっていたら、ここまで護摩行参拝が大衆文化として定着していなかったのではないか。

もともと真言宗という宗旨は、平安時代に弘法大師空海が開いた宗旨であり、平安仏教のひとつ。平安時代は、一般大衆は仏教には全く無縁だった。当時、仏教を信仰していたのは、皇族、貴族、公家といった支配階級のみ。だから、奈良、平安時代の仏教寺院の本堂は、本尊が祀られているスペースしかなく、大衆が参拝するスペースそのものが設けられていない。宇治平等院は、その典型である。なぜなら、平安時代のころは、一般大衆は仏教を信仰していなかったからである。

一般大衆が仏教を信仰するようになったのは、鎌倉時代以降のことである。浄土宗開祖・法然が「南無阿弥陀仏と唱えれば西方極楽浄土に往生成仏できる」という教えを説いてから。そういう誰でも修することができる易行で往生できるなら、ということであっという間に浄土宗が広まった。

日蓮の南無妙法蓮華経の教えが大衆に広まったのも、鎌倉時代から室町時代にかけてである。南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も、易行だからこそ、大衆に広まったわけである。

しかし真言宗は平安仏教である故か、修行そのものが大衆が行じる修行になっていない。護摩行などは、その典型と言えよう。

しかし元来、易行であるはずの日蓮正宗、創価学会の読経・勤行が定着していないのに対して、本来、難行の修行である真言宗の場合は、護摩行への参拝が大衆文化として定着しているのは、おもしろく見える。つまり真言宗の場合は、難行である護摩行を修することを一般大衆に押しつけず、一般大衆が護摩行参拝になっていることを容認してきたからこそ、真言宗が大衆文化として定着できたのではないだろうか。それがむしろ、ありのままの自然な姿と言えよう。

私は、一般大衆が読経や勤行をしないとか、難行をやらないことが、悪いことだとは思わない。そういうことよりも、実際の姿として、現実の姿として、大衆文化がどういう形で定着したのか、を見るべきだと思う。平間寺の護摩行に参拝させていただいて、こんなことを考えていた。

 

平間寺9




















平間寺3


































 

(平間寺大本堂)