保田妙本寺は日郷開基の富士門流八本山のひとつであるが1957---1995年の間は日蓮正宗の本山格寺院だった。保田妙本寺51代鎌倉日桜氏は1995年に日蓮正宗から離脱したが、1972---1974年ころ、松本勝弥氏らの正本堂供養金返還訴訟のグループ、言論問題で創価学会を脱会したグループが保田妙本寺に集まり、このころから日蓮正宗からの独立を企図していた。しかし保田妙本寺が反創価学会・反日蓮正宗の拠点になることを嫌った池田大作氏が、保田妙本寺客殿、本堂の増改築を創価学会で供養するかわりに、松本勝弥氏らの反創価学会グループを保田妙本寺に出入りさせないことを要求。鎌倉日桜氏がこれを呑み、創価学会と保田妙本寺は1991年まで蜜月がつづいた。1993年、早瀬日慈氏が死去した後、僧階最上位になった鎌倉日桜氏は、慣例では重役になるところだったが、しかし吉田日勇氏に重役の座をさらわれてしまった。日蓮正宗中枢から阻害されていることに不満を持っていた鎌倉日桜氏は、1995年に日蓮正宗から離脱した。今も又、保田妙本寺には日蓮正宗から離檀した人、創価学会を脱会した人が集結してきており、庫裡を新築している。