西山本門寺とは富士門流八本山の一つ。西山本門寺には1980年代、90年代、そして2011102日に訪問している。1957年に塔頭・末寺・檀家の承認なく西山本門寺49代貫首・由比日光氏の独断で日蓮正宗に合同。合同に猛反対する塔頭・末寺・檀家と日蓮正宗・西山本門寺貫首の間で大紛争になった。さらに由比日光貫首は後継者として何と日蓮正宗宗務院渉外部長・吉田義誠(日勇)氏を指名。吉田義誠(日勇)氏は、西山本門寺大学頭・副住職として赴任。19654月の由比日光貫首の死去により吉田義誠(日勇)氏が50代貫首になった。西山本門寺紛争は裁判の場に持ち込まれ、1975年の最高裁判決で塔頭・末寺・檀家側が勝利して吉田義誠(日勇)氏は西山本門寺から退出。西山本門寺は日蓮正宗から離脱し、吉田義誠(日勇)氏は除歴され森本日正氏が50代貫首に赴任した。西山本門寺の全盛時代は江戸時代で、かつては塔頭は30以上の坊があり、末寺も21ヶ寺あった。しかし今は塔頭は3ヶ坊、末寺は5ヶ寺のみ。境内は人の気配を感じないくらいに閑散としている。201110月の訪問時には浄円坊住職・山口亮祐氏と話が出来たが、般若の面そっくりの顔つきで乱暴な話し方をする、常識に欠けた人物であった。