京都要法寺とは富士門流八本山のひとつで日蓮本宗の本山。要法寺貫首は日蓮本宗管長・代表役員である。1536年の天文法華の乱で上行院、住本寺が焼失。1550年、広蔵院日辰が両寺を合併して復興したのが京都要法寺である。要法寺は開創から寛政の法難まで造仏読誦義であった。その最中の1587年、大石寺側の申し入れで要法寺は大石寺と通用をはじめ、1598年から約百年九代の大石寺法主が要法寺出身の法主である。大石寺は「日蓮正宗入門」の中で、要法寺が大石寺の末寺になったと書いているが、要法寺が大石寺の末寺になった歴史はない。笑止千万、明らかなウソである。要法寺では、開創から造仏読誦時代を通じて、日蓮宗本山と同じように板本尊を背にして日蓮像を祀る本堂(祖師堂)と、釈迦牟尼仏像を祀る釈迦堂(新堂)の二堂があった。この化儀は他の日蓮宗本山と同じである。これを寛政年間に仏像を撤廃して寛政の法難が起こり、再び仏像を祀ることで妥協したが、1915年、再び仏像を撤廃して、日興本尊と日尊像を祀り、開山堂と称している。要法寺貫首は曼荼羅本尊を書写して、僧侶・信徒に下附するのは、造仏読誦時代から今に至るまで同じ。広蔵院日辰も曼荼羅本尊を書写している。板本尊を背にして日蓮像を祀る本堂も、開創以来、造仏読誦時代から今に至るまで要法寺に存在している。板本尊を背にして日蓮像を祀る化儀は、大石寺御影堂、身延山久遠寺祖師堂、池上本門寺大堂、讃岐本門寺本堂等、日蓮正宗、富士門流、日蓮宗に共通する化儀である。