日蓮宗では今でも総本山、大本山の呼称を使っており、身延山久遠寺を「日蓮宗総本山」と呼んでいる。日蓮草庵跡に、かつて日蓮草庵、1281年に日蓮が建てた大坊があった。日蓮廟所に最初は日蓮灰骨が葬られたのだが、身延山久遠寺11世行学院日朝の代に、現在、本堂、祖師堂の場所に移転。日蓮灰骨も御真骨堂に移された。日蓮が千葉・小湊の両親を偲んで毎日登山したと伝承する身延山頂に建つ思親閣には、ロープウェイで登っていく。身延山には西谷檀林から発展した身延山大学がある。現在、身延山久遠寺には東谷、西谷、中谷、奥ノ院、七面山には46ヶ坊の宿坊がある。西谷の林蔵坊は大石寺二祖日興が開基の宿坊である。しかし一方で118ヶ坊が廃坊になっている。原因は江戸時代の四度の火災、1875年の明治の大火である。明治の大火では本堂、祖師堂等の伽藍の他、日蓮真筆遺文・曼荼羅本尊を焼失してしまっている。現在の本堂、祖師堂、真骨堂、客殿等々の伽藍は明治の大火以降、再建されたものである。身延山久遠寺が発展したのは室町時代の中興の祖・11世日朝以降で、江戸時代に日脱、日省、日亨等の名僧が出て発展。1712年にぱ133ヶ坊を構える大寺院になった。これがたび重なる火災で焼失したが、身延山久遠寺が日蓮宗総本山の威容を整えたのは、行学院日朝の代の後、江戸時代になってからである。