当会チャンネルの#267の動画・「戒壇の大本尊」偽作の真実11弾で、絶対秘仏であっても、古文献・古文書には出てくる。よって日蓮・日興在世から大石寺8世日影の代まで、全く古文書に出てきていない「戒壇の大本尊」は、その時代には地球上に存在していなかった証拠である、という検証をしてきた。絶対秘仏でも古文書に出てくる事例として、奈良・法隆寺・夢殿本尊・救世観音像、比叡山延暦寺・根本中堂・薬師如来像、長野善光寺・阿弥陀三尊像を挙げ、これらはいずれも日蓮遺文に出てきていることを取り上げた。そこで今回は、623年の造立から1884年にフェノロサと岡倉天心によって開扉されるまで秘仏ないしは絶対秘仏だった奈良・法隆寺・夢殿本尊・救世観音像が、古の文献にどのように出てきているのか、という検証である。761年の「東院仏経並資財条」には「上宮王等身観世音菩薩木像一体金箔押」と書いてある。859年の道詮奏上文の中に「堂宇旧存 遺像是在」と出てくる。1140年の七大寺巡礼私記には夢殿本尊・救世観音像について「宝帳を垂らし拝見しがたし」と記している。1238年の「聖徳太子伝私記」には、夢殿本尊・救世観音像のことを「今の世并に昔日にもその体を知らず」と記している。1362年の「法隆寺縁起白拍子」には、夢殿本尊・救世観音像のことを「錦帳を垂れ給えば上宮在世の昔より内陣を拝する人ぞなき」と記している。1698年の「仏菩薩数量等記」には夢殿本尊・救世観音像のことを「本尊、秘仏の故、尺寸知らず」と記している。1719年の「法隆寺仏閣霊仏宝等目録」には、夢殿本尊・救世観音像のことを「(夢殿)本尊観音、往古より秘尊なり」と記している。1799年の「諸堂本尊霊宝等割附」には「本尊常の如し、前立正観音」と記している。1836年の天保記には、夢殿本尊・救世観音像のことを「往古より秘仏、白布を以て尊容を巻く」と記している。このように、絶対秘仏・救世観音像は、古の文献、古文書にいくつも出てきている。よって、日蓮~大石寺8世日影まで全く古文書に出てこない「戒壇の大本尊」はその当時は存在していなかったということであり、大石寺9世日有の代に偽作された本尊である、ということになる。