北山本門寺は富士門流八本山のひとつ。日蓮宗七大本山のひとつであり、正式名は「富士山重須法華本門寺根源」という。同名の本門寺とは池上本門寺、西山本門寺、讃岐本門寺、本円寺の旧名、大石寺の将来の名(富士山本門寺)があり、名前に根源を使っているのは、他の本門寺をはじめ一切の寺院の中心との意味が込められているが、北山本門寺が「本門寺」の寺号を公称したのは、1515(永正12)626日のこと。しかし池上本門寺の場合は、日蓮入滅直後から「長栄山本門寺」「池上本門寺」の名前が文献に出てくる。北山本門寺には、大石寺・北山本門寺の開山・大石寺・保田妙本寺・京都要法寺の第二祖・白蓮阿闍梨日興の正墓がある。日興は、北山本門寺で遷化し、北山本門寺で葬送が行われ、北山本門寺に埋葬された。北山本門寺の日興墓が正墓である。これは日蓮正宗の「日興上人正伝」や大石寺59世堀日亨の「富士日興上人詳伝」も認めている。北山本門寺の重宝として有名なのは、日蓮真筆・鉄砲曼荼羅、本堂の日蓮木像「生御影」、本門寺根源の「額」、本門寺「三堂棟札」があるが、生御影、本門寺額、三堂棟札は、成立の伝承や記述内容等々からして全くの矛盾だらけのものであり、後世の偽託である。かつての古文書には、北山本門寺に「二箇相承」があり、要法寺13祖日辰をはじめ、北山本門寺で「二箇相承」を臨写したことが書いてあるが、現在の北山本門寺の霊宝の中に「二箇相承」はない。又、北山本門寺の境内に、重須大神、本化垂迹天照大神宮という名の神社がある。